七話

「って事があってね」

「…ん…と」

アヤメの部屋で。
せっかくはるばる来たんだから、少しゆっくりさせて下さい。と頼んだところ宿題の消化を交換条件に許してもらった暫く後。
何がどういう流れでなのかは、自分でも覚えていない。まあ雑談なんてそんなものだ。
今日の喫茶店での先輩たちとの出来事を、粗方アヤメに話したところ、なんだかすごくむつかしい顔で首を傾げられてしまった。
「なんで困った顔してるの」
「うん、ゆうきには困ったものだよ」
やれやれと首を振ってから、アヤメが手に持ったうさぎりんごをカプリとかじる。お腹の方から食べる人は珍しい気がする。
「…、思い当たる節は色々あるけど」
こっちはこっちでプリントに問題の解答を書き込んでいく。自分の嫌いな教科だけは人に押しつけたがるあたり、結構ずるい。 そのくせ成績はいいんだからまたずるい。頭の出来が違うんだよとのたまわれた時はさすがに泣くかと思った。小学生のころだからまあ仕方ない。
「普通そんな話他の女の子にしないよね?」
「そうなの?」
「そうじゃない?」
「どうかなぁ」
「…どうなんだろうねぇ」
二人して考え込んでしまう。
…あと一人いればこうはならなかったんだろうか。人選次第という気もするけれど。
「その先輩はゆうきの事好きだって言ったんだよね?」
「うん」
「どう思った?」
もそもそとこちらに体を寄せてきて、じっと眼を見る。
適当にはぐらかすなよー、という合図。私のお菓子勝手に食べたよね?という時と同じ。アヤメにとっては大切なことなのだそうだ。別の話だけど。
「ありえないかなって」
「…うーん…」
もぞもぞと姿勢を戻し、腕組み。
おお、普段何も考えてないような子なのに。成長したんだろうか。
「異性に対して好きだって告白する時ってすごく勇気がいるって」
「本に書いてあった?」
「うん」
本の虫みたいになってるアヤメなら当然か。人に聞いた、なんてことはめったにないし。
ただ言ってることは割と興味深い。…でもあの人に勇気なんて言葉は似合わない、似つかわしくない。地盤から固めていく人だから、自信がないと行動には出ないイメージがある。
「そうなのかな。やっぱり」
「そうみたいだよ?うん」
思わず考え込んでしまう。いや、きっと前提が間違ってるんじゃなかろうか。この場合。
多分アヤメが言うのは色恋沙汰に関しての問題であって、先輩のあれは多分色恋沙汰なんて欠片も絡まない悪質ないたずらであって。
…そうだと断定できないのか、こっちからだと。むずかしい。
「あ、じゃあさ」
「ん」
アヤメが顔をあげて、ずいとこちらに体を寄せる。
何かひらめいたらしい。この子は割とわかりやすい。何かとわかりやすい。
「ゆうきは私の事好き?」
「うん。好きだよ」
「わ、ありがとー」
にこりと笑ってそう返す。と思ったらすぐまたむつかしい顔で腕をくむ。
「…むぅ、これじゃ参考にもならないね」
「ああ、そういうテストだったんだ、今の」
勇気だなんて、そこには欠片も介在しなかった訳で。
魚を見て、それは魚だというような物で。
…そもそも、こんな物の考え方が、既に間違っている訳で。
お互いに、そんな事にも気づけない二人な訳で。



我が家。
傘に溜まった滴を払い、扉を開ける。
「ただいまー」
「おにーちゃん遅いー」
「もう帰る時間だよー」
「ああはいはい、帰った帰った」
わらわらと絡みついてくる子供の軍団を押しのけて、家の中を突き進む。
何をどう間違えたのか、うちの家庭は託児所みたいなものを営んでいる。
みたいなもの、というのは裏口から入った先の居間が託児所で、玄関…表口から入った先は喫茶店になっているからである。本業はどっちなのかと聞いたらどっちも趣味だよと母親は言っていた。故に彼女は常に多忙だ。好きでないとやってけないとか。
託児所といっても、身内の子供たちを預かっているだけだ。全員親戚みたいなもの。知らない人の子供をいきなり預かったりはしない。流石に聖人君子みたいな真似はできないと。
「あー、ばあちゃん達今日はいないんだ?」
「もうおにーちゃんが帰ってくるから帰るって」
「後はおにーちゃんが全部してくれるってさ」
「判った。流石に疲れたんだね…」
遊びたい盛りの子供たちの相手は、老体二人じゃ見切れなかったのだろう。特に今の時期、庭が使えないから。屋内でいっぺんに全員の面倒見をないといけない。…まあどちらにせよ大変なことに変わりはないのだけれど。あの人たちが偉大だという事だけ俺は把握している。
「おにーちゃん、かみひこうきつくって!」
「狭いところで作っても飛ばせないでしょ、危ないし…カエル作ったげるから。こっちにして」
「ひこうき…」
「泣かないでよ…ほら、跳ねるんだよ?カエル」
「にーちゃんさっきそこでかえるつかまえた!」
「かえしておいで。女の子が怖がってるから。蛙死んじゃうから。あと泥だらけだからこっちおいで。顔ふいて」
「おにーちゃんおにーちゃん、これよんでー」
「こっちもー」
「かえる折るので忙しいから後にしてくれないかな、どっちかにしてね…おーい、出来たよ。ほら、ぴょんぴょん」
「すげー!」
「にーちゃんすげー!」
「ぼくのもー!」
「これ見て自分でやってごらん、簡単だからさ…で、どっちか決めた?」
「こっちにする。いいよね?」
「うん、がまんする」
「ん、いい子。また読んであげるから」
「にーちゃんにーちゃん見て、かえるできたよー」
「すごい?すごい?」
「ああもう元気だね君たちは…」
気づけば、荷物も下さずに子供たちの真ん中にいる自分がいて、ちょっと悔しくなる。特に用事があったわけでもないし、何かしたいことがあったわけでもないのだけれど、自然と子供の守をしたくなってる自分が少しせつなくなる。それでいいのか、高校生。
母親にまで将来は保父さんだねーとか馬鹿にされて。いや、あの目は本気だったか。
「ゆーき、お帰りー」
とんとんとんと、上の階から下りてくる音と、声。
「ただいま。…お店の方終わったの?お仕事」
「おねーちゃんおねーちゃん、かえる!」
「ん、片付けてきた。おお、すごいね、自分で作ったの?」
おねえちゃん、なんて年でも無いけれど。それがうちの母親だ。 早くに結婚してさっさと子供を産んで、今は趣味に生きている。 …息子の自分が言うのもなんだが、父親はこんな綺麗な人おいてよく海外出張などと言っていられるな、と思う。まあ、中身の方はいかなものかと思うような生き物だが。
「すごい?すごい?」
「凄いねー。将来は折り紙博士かな?ああ、ゆーきに電話着てるよ。待っててもらってるから」
ぽむぽむと、男の子の頭を撫でるわが母。
実の子にもあんまり見せない笑顔。…俺が小さい頃はきっとそうでもなかったんだろうけど、最近は割と冷たい。だからどうという事じゃないけど。
まあ、好きなものに甘くなる気持は判らないでもない。根っこの部分で自分はこの人の子なんだと思ってしまう。
「うん。あ、これ読んであげて」
「はーい。それからゆうき君、お姉さんがお迎えにきてたよー」
「えー」
賑やかな喧噪を後に、階段を昇る。
もったいないことをしたかなあ。そんなことを考える自分が、やっぱり少し。



「…遅くなりました、有紀です」
居住空間になっている、我が家の二階。その大体中央に位置する電話機。流石に黒電話、とかじゃないけど割と古い据置型の電話機。
子機、みたいなものは喫茶店のカウンター奥に置いてある。まあ大した情報じゃない。
『…あ、有紀君?』
一拍二拍置いて、沈んだ女性の声が届く。
割と聞きなれた声。こういうトーンで聞くことは、若干珍しいその人の声。
「ああ、先輩。先ほどは」
『ごめんなさいっ!』
…びっくりした。
いきなり声が右から左に突き抜けて。ちょっとくらっとした。
「受話器越しに叫ばないで下さいよ…」
『ああ、うん、ごめんね、耳大丈夫?』
「ちょっときーんとします。…まあ平気です」
『ああ、ごめんね…』
「ええと、夕方の事ですか?」
『うん…お金、どうした?』
「ちょうどそこで友達に会って。立て替えてもらいました」
『よかった…ごめんね、お店出てからちょっとしたら思い出したんだけど…』
「いえ、明日請求しようと思ってたし。平気です」
『警察沙汰になったらどうしようって…本当にごめん』
だんだんと、先輩の声が遠くなっていく。いつもの先輩らしくなくなっていく。
…それでもやっぱり、いつもの先輩だ。
「…せんぱい」
『ん?』
「…いや、何回目かなあって。こんな趣旨の電話」
『う…何の話、かな?有紀君』
受話器の向こうの声が、軽く上擦る。
「前はなんでしたっけ、うちで預かってる子が迷」
『やめて古傷掘り返さないでっ、いちいち覚えてなくていいのにもー…っ!』
わたわたと、少し明るくなった先輩の言い訳する声が耳に心地いい。
昔からこうなんだ、この人は。
少しでもやりすぎたと思ったりとか、想定外の処に自分のやったことが飛んでいったりすると、とことん落ち込んでこうやって謝りに来る。電話で。
やりすぎた、の度合いが普通の人からかけ離れているところが割と問題だったりするのだが、今は脇に置こう。
なぜ電話なのか、聞いてみたら恥ずかしいからだと言われてしまった。普段が傲岸不遜で傍若無人だから、落ち込みまくった姿も見てみたいものだが。まあそれはあの人のプライドも許さないのだろう。無理に人が嫌がることはしたくないし。
先輩の悪戯も、普段は些細なものであって。あとに根を引くようなものじゃなくて、後で笑い飛ばせるようなものだから。
先輩の中でその垣根を超えてしまった状態が、これな訳で。
「まあ、今回もそんなに気にしてませんから。元気出して下さい」
『うん、そうする…ごめんなさいってまたお母さに伝えといてくれる?』
「はい。了解です。多分また遊びにおいでって言われると思いますけど」
『…んー、有紀君のお母さん、好きなんだけどちょっと苦手で…』
ぐ、とちょっと詰まって一生懸命言葉をひねり出す。
似てるからなあ。先輩は弄られるの得意じゃなさそうだけど。口には出さないけれど多分そういうことだろう。年の分うちの母が勝っている感じ。決して嬉しくは無い。
むしろ母がいたからこそ、今こうして先輩と付き合っていられるんじゃなかろうか。
…感謝すべきなのか、なんか違う気もする。
『あ、ごめんねそろそろ切るわ。…有紀君も携帯電話買ったらいいのに』
「それはちょっと財政的に…」
『そうだよねー。…うん、じゃあ、またね』
「あ、ちょっと待って下さい」
『うん?どうしたの?』
どうしても、言っておきたいことがあったんだった。
若干駄目になった先輩の相手が楽しくて忘れていた。
「…さっきは約束破って、ごめんなさい」
先に約束を破ったのは自分であって。
先輩にこんなことをさせてるのも、自分がちょこっと浮かれてたのが悪いのであって。
…きっと普通にしていれば、今日も比較的穏やかな一日になっていたのであって。
『ううん。有紀君は謝らなくていいの。…そうさせたのも私だもん』
「でも」
『じゃあ、また明日ね。お休みなさい、ちゃんと寝るんだぞ若人よ!』
ぷちりと、通話が途切れて。
ひとつ大きくため息をついて、受話器を置く。
…明日は委員長にも謝らなくちゃいけないなぁ、先輩。
その現場をとらえることができたら楽しいだろうか…。いや、楽しいに違いない。
割と長い付き合いだけど、沈んでる先輩を見る事ができる初めてのチャンスじゃないだろうか。

…これは、面白いことになってきたかもしれない。

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