5.

「つう……」
「それくらい我慢して」
薬草をすり潰したものを腕の傷口に塗り、その上から包帯を巻く。終わった所で負傷箇所を叩くのだから、アリスの小さな悲鳴はそれ程おかしな事ではなかった。
「それにしても、こんな子供がねぇ」
軍医は訝しがってアリスを見る。その視線を真っ向から受け止め返した。
「悪い?」
「いいえ、結果を残せば何だって構わない。貴女は残したしね」
ただ賞賛され、アリスは横を向いた。その頭には樫の葉で作られた冠を戴いている。
戦に出たのは今度で4度目だった。イウェール王国の南の国境は河だが、北は2国と面している。その2国の北の国境も河で、河に挟まれた大きな三角州の様な地で覇権を手中にするべく血みどろの紛争を各々繰り広げているのだ。
お陰で仕事が途切れる事がない。
その4度目にしてアリスは初めて、手柄らしい手柄を立てた。
とは言っても個人で立てられるものは高が知れている。
 アリスは、戦場で味方の命を救ったのだ。それは最高の栄誉とされていて、救われた者が樫の葉で冠を作って救った者に載せるのが古来よりの慣わしらしい。団員曰く、それはガラッシアの風習らしいが彼女は聞いた事はなかった。
 助けた団員はまだ子供で、落ち着きがなく勇気もなく見ていて危なっかしく、そうこうしている内に斬られそうになり、咄嗟にその間に入った。その後はよく覚えていない。がむしゃらに戦って怪我を負い、気が付いたら歓声を浴びていた。
 このところ、剣には冴えがあった。だが、中途半端だ。下手に余裕ができたものだから余計なものが目に入り、自分は怪我を負ってしまった。
 でも、後悔はしていない。
 樫の葉の冠を載せてくれた少年兵の顔を見て、それがとても嬉しそうで、何かをやり遂げた充実感を覚えた。だから、それで良かったのだ。
「そういえば、貴女はガラッシアの出だったね?」
 軍医が思い出したように聞いてくる。
「ああ、それがどうかした?」
「市民権は?」
「……持ってない」
 ガラッシアの民には二種類あった。市民権を持つ者と持たない者。その差はヒトとしての差だった。市民的な仕事をするのにもそれは必要になるし、裁判を受けるのにも医者に掛かるのにも必要になる。基本的には全ての民が持ってるが、異民族、奴隷はその限りではない。当然、そのどちらでもないアリスも本来ならば持っているのだが、家を出た時は必要な書類などを持ってくる余裕もなかったし、何よりそれはきっと彼女を縛っただろう。
「へえ、じゃあ」
「私がそんなのに見える?」
 何かに勘付いた様子で、軍医はいいえ、と首を横に振った。
 ざっくばらんな性格をしている彼女は、数人いる軍医、数十人の看護師を纏めるセミロングの金髪碧眼な20代中頃の美女だった。オマケに副長とは親友らしい。アリスを買っているあの副長と。
「ワケありか。まあ、大体みんなそうだけど。あの貴女と一緒だった子、なんて言ったっけ? ああ、そうバルナバだったか、彼もそうでしょう。あそこまで学のある子はそうそういるものじゃないしね」
 聞いた話によると、あの少年はアリスが思っていたよりずっと学を修めていて、それで拾われたらしい。中々、そんな人材が野に転がっていることは少なく、今は本部で諸事雑務を押し付けられている事だろう。戦士になるとばかり思っていた彼は随分不満らしいが。
「家出かそんなとこでしょ。中々、勇気があるじゃない」
 思わせぶりな視線に首を振る。
「そんな関係じゃない。少し、利害が重なっただけだ」
「ふうん、ま、そういう事にしときましょうか」
 少女の言葉を真に受けた様子もなく、軍医は話を切った。
「傷は大した事はない。まあ、暫く休めばいいんじゃない。ろくに休暇も貰ってないでしょ?」
 報告書をさらさらと流麗に認めながら、診断を口にする。
 随分といい加減だが、それがわりと上手く行くらしい。
「ここには、他の傭兵団もある。社会科見学には丁度いいわ」
 アリスが出陣した4度は4度とも違う地方で、今は本部のあるアルジャンからは遠く北東に離れたボシュエ公国との国境近くに滞在していた。三角洲の中央に行けば行くほど、田舎になっていく。
牧歌的な風景が広がり、人々は穏やかで、しかし愚かだ。
 ガラッシアも北の大国アエテルヌムも何より成熟したを特色として持っている。その二大国に挟まれた三ヶ国は取り残されたように発展を知らない。
それは戦乱の所為なのか、大国同士が牽制し合っている所為なのかは分からない。ただ確かなのは洗練された豪奢さも簡素な中の流麗さもこの国々には根付いていないという事だ。
 それでも、ガラッシアにもアエテルヌムにも負けていない所もある。
 傭兵団の多さもその一つ。
 三ヶ国で大小合わせると50は下らないのではないだろうか。それがいい事項か悪い事項だかは知らないが。
「提携しているのが、この街には二つかな。言えば案内くらいはしてくれる筈」
「提携?」
 耳慣れない言葉に首を傾げる。
「ん? ああ、そう、知らないか。文字通り提携。この地方はほぼ全土で戦乱の嵐が吹き荒れてるでしょ? ウチはそれなりに大きいけど、全土をカバーできるだけの体力はないから、適当なところと提携して本来なら見てるしかない様な戦争でも稼いでるのさ」
 どういうシステムだろう。と、ふと思ったがそれは聞かない事にした。尋ねたら事細かに説明して貰えるだろうが、それを理解できるとは思えない。
 自分はただ戦えば良くて、上の人間の思惑なんて知る必要もない、と勝手に思い決めていた。
「今くらいの歳は、もっと好奇心を持った方がいいと思うわ」
 目敏いのか何なのか、軍医はそんな助言をしてから少女を追い払った。
 急に時間が空いてしまい、その時間を埋める為の努力を迫られてしまった。オマケに先達からの提案があり、それは微妙に強制力を持つように後言が加えられている。
 とりあえず、その提携先の傭兵団の名前を知るべきなのだろう。  あの軍医が1から10までお膳立てしてくれるとはとてもじゃないが思えないし、また、そうまでしないと何もできない様な人間を欲す筈がない。
 自力でなんとかしなければ。
「はぁ」
 なんとなく気が重かった。特に理由はないのだが、態々なぜ自分が、という思いがあるのは確かだ。傭兵団なんてすぐに見つけられるだろうし、そこを見て何が変わるとも思えない。
 社会科見学、と銘打ってはいたが、本当にそんなものになるのかすら疑問だ。
 小さな傭兵団。
 マリウス傭兵団は総勢が3800名程だ。少女の祖国で言えば大体1個軍団の定数の半分強。それ程の陣容を整えている所は稀で、全体の一割に満たないだろう。もしかしたら五分を割るかも知れない。
 その様な所に所属している人間が行って貰うのは阿りかやっかみか。
 確かに、他の組織を知見する事はマイナスにはなりようもない。が、それを考えると気が重くなるのだった。人と会うのが特別好きという訳でもないというのに。
「よう、どうした。そんなとこに突っ立って」
 声が向かってきた方を向くと短く刈った金髪が目に入った。
「ヨドーク」
「ミーネから、何か言われたか?」
 面白がっているのか、声は明るく表情も緩んでいる。
 彼は先の軍医の弟で少女の所属する第2連隊の小隊長だった。
「別に」
「俺はこう見えて、なかなか面倒見がいいぞ」
「大丈夫」
 固辞する姿勢を見せても、彼は何かしらの突破口を見出そうと声を掛けるのを止めない。冷たくあしらってもめげる事を知らない様に見える彼は苦手だった。
「もう少し、周りに溶け込む様、努力したらどうだ?」
 押し黙ると、彼は一転して厳しい声色を覗かせて
「全ての人間が手放しで歓迎してくれるとは限らん。そんな事すら分からぬ歳ではないだろう。我々はお前に期待している。詰まらん事で問題を生んで貰っては非常に困る」
 そんな事は少女の知った事ではなかった。
ただ、それが与えられた役割だという事も何となく気付いてはいた。
 最初に、総長に何て言われたか。幹部候補生?
 くだらない。そんなものに興味はない。
 目立たなくていい。ただ、仕事があってそれで口に糊していければそれでいい。
 だけど、やっぱり与えられた役割を演じなければ、居場所なんて与えられない。
 だから、その為には演じようと思う。それくらいの頭は回る。やりたい事だけやって生きようとする程子供じゃない。
「分かってる」
「なら、いいが。で、何を言われたんだ?」
 結局、堂々巡りをして帰って来た。これは、話すまで付き合せられそうだ。
 緘口令を出されていた訳ではなかった事を幸いに掻い摘んで話した。最初、うんうんと頷いていたドヨークは中盤辺りで姉の思惑を悟ったのか話を止めさせ、
「成る程、流石ミーネだ。よく考えてる」
 シスコンな所を垣間見せつつ、諒解したようだった。
「その二つの傭兵団だが、そうだな、これくらいは許されるだろう。シラー傭兵団に行くといい」
「シラー?」
 ここは民族の坩堝か。まだ、現地人の団員を聞いた事がない。  目の前の姉弟もそのシラーというのも遥か北方の民族の名前だ。
「ああ、多分、それで合ってると思う。幸運を祈る」
 肩を2、3度叩きながら言い、彼はしつこいのが嘘の様にあっさり姿を消した。
 溜息しか出てこない。
 なんでこうこの姉弟は断片的な情報を与えるのが好きなのか。
 幕舎というか、医院というか、マリウス傭兵団第4支部は三角洲を形成する二つの大河の北から注ぐシャンクロ河の支流の中に浮かぶ小島に隔絶されていた。
 傷病者が送られてくるのは主にこの支部で後は第8支部がその補助的役割を担っている程度だ。その長は少女を事の外、気に掛けてくれるミーネ・ルクセンブルクで、当局と色々な交渉を繰り広げ、この小島を確立しているとか、いないとか。
 目的として決まったシラー傭兵団がどこにあるか分からないが、当然この隔絶の島から出ないといけない事に変わりなく、となれば船を動かして貰わなければならない。
 そう思った彼女は、思い立ったが吉日と言わんばかりに早速行動を開始する事にした。


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