7.
風を切る音が耳元を過ぎる。
「くそっ、何だってんだ、これは」
襲い掛かってくる碧眼の男の胸に剣を突き立て、足蹴にしてそれを抜き取る。どさりと崩れを落ちた男は微かにも動きはしなかった。
それを横目に肩で息をして、状況を把握する為にぐるりと周囲を見渡した。
白兵戦になれば数が物を言う。大将に信望がないのかシラー傭兵団が味方したシャルトル伯はフォンテーヌ伯より大幅にかき集めた兵は少なく、数の劣勢を策で挽回する程の器量もなく、まんまと相手の術中に嵌って数で押し切られそうだ。
「だからったってこのままじゃ」
再びどこからか振り下ろされた剣を避け、その方を向く。
避けられたからか、ひっと情けない声を上げて後ずさりする兵士に躊躇いもなく剣を振り下ろして絶命させ、何とか味方陣営と合流できないか、と再び周囲を臨んでも兎に角乱戦になっていて状況が全く分からない。このまま死なずに済むには終わりまで立っているしか方法はなく、つまりは殺し続けないといけなくて、もう何人殺したなんて覚えていない。分かるのは体力が限界に近い。だから、あまり手数を掛けられない。一撃で屠らないと直ぐに底が覗いてしまう。
そんな事をしていれば、大きな隙なんて必然的に生まれてしまっ てそれを突いてくる兵士は少なからずいるだろう。そうなったら終わりだ。
初めて、死の可能性が頭を過ぎり、一抹の不安が彼女を襲う。
「くそっ」
それを振り払う様に、剣を振るった。
兎に角殺し続ける事だ。そうできる間は自分は死ぬ事はない。
一々殺す兵士の顔が目に付いた。藍の眼、栗色の眼、碧の眼の奴。
末期に見る風景はどんなものだろう。こんな子供に殺されて口惜しさなどもあったりするのだろうか。
よく分からないし、知りたくもなかった。
自分の番が来たら運命はそれを否応なく運んで来るのだから、気にしていても仕方がない。今日を生きる様に明日死ねばいい。
そうだ。何も怖い事なんてないんだ……
段々と意識が混濁していっているのを他人を眺める様に頭の片隅の少しだけ残っている冷めた部分で感じていた。
「降伏しろ」
低く震えるような威圧感が篭った声だった。
はっとして、誰だと声の方へと向き直り、それは随分と歴戦を思わせる鎧に包まれた戦士、いや騎士の様な佇まいの男で、澄んだ蒼の瞳がアリスを見据えている。
「もういいだろう。そこまでの義理もあるまい」
「違う。そんなんじゃない」
確かにそうだったが言葉にされると違和感を覚えて、益々昏迷の色を増す頭で考える。
今、降伏なんてしたらウィオーラは何て思うだろう。開戦から逸れてしまった彼は、今もどこかできっと敵を薙ぎ倒しているだろう。そんな奴に笑われる様な結末には絶対にしたくない、と最初に彼女は思った。小さな虚栄心と矜持の差し金だろう。
「どうしてだ。無駄死にしたいのか?」
「それは嫌だけど」
そんな無様な、矜持を傷つけるくらいなら死んだ方が遥かにマシだ、とアリスは心に決めていた自分の誓いを思い出す。死を想うより、武器を捨て敵に生殺与奪を握られる事を想う方がずっと恐怖だった。そんな事を彼女の自尊心は肯じられない。
「お前は立派に戦った。それは皆が分かっている。それなのに、お前は死を選ぶのか?」
ぐるり、と周囲を覗う。アリスの周りには人の輪が出来ていた。 敵。囲まれた。
自軍と思しき数人ほどアリスの傍に居るのに初めて気付いたが、何れも手負いで息も絶え絶えだった。
男は部隊長なのかも知れない。敵は話が終わるまで攻撃するつもりはないようだ。出来れば降伏させ自軍の損害を抑えたいのだろう、もう勝敗は決まった。無駄に命を散らせる事もない。
数人の味方はアリスに従う心積もりらしく、先ほどから何も喋らなかった。
全部、自分の判断で決まる。
生か死か。
ふと思う。ここで死んだらそれは雄雄しい死に方なんだろうか。誰かが、ウィオーラかミーネかアニタか誰かは認めてくれるだろうか。
いや、誰が認めようが認めまいが、アリスは降伏を肯じられない。だというのに、そんな思いが決断を遅らせるのは、やはり生への執着というものが彼女にも人並にあるのだろう。
「選ぶ。私はそうまでして生きたくない」
ようやくのこと、疲れに支配された喉で彼女は生への道を断ち切った。
「……では、よいだろう。送ってやる、名は?」
「アリス」
「サヴェーリーだ」
男は手を上げ、それを合図に包囲していた敵が一斉に襲い掛かってきた。
時間の問題だ。何れ、息が切れその時に殺される。
だが、それまでは多くの道連れを作ってやろう。
1人目は振り下ろしてくる剣を避け、その返しに胸を貫いた。直ぐに2人目が来て、剣を合わせ、弾いてから横一線に凪いだ。3人目は端から何かに怯えていて近づいたらただ武器を振り回すだけだったので無視して4人目に取り掛かったら後ろから襲ってきた。まず、前の敵を急所に一撃で屠り、次いで反転して突きを見舞ったら胸板を貫いた感触がはっきりと感じられた。それを、5人、6人、7人と数えられなくなるまで続けた。
数が数えられなくなってそれでも長い時間戦い、もう体中には無数の傷ができているようだったが、それでも襲い掛かられれば打ち払った。しかし、いずれは限りが見え底を突くのが自然の摂理だ。一瞬、地面が浮いた様な感覚に襲われてバランスを崩し、剣を杖代わりに何とか転ばずに済んだ。
空気が重い。
吸っても吐いても、それを感じられない。
眼が霞む。――これでは状況が分からない。
周りが2重になって、何が何だか分からなくなっても視界の端に 襲い掛かって来る兵士を認める事ができた。できたはできたのだが、それだけで終わってしまって、それ以上の動作を彼女の頭は働き掛ける事はなかった。
あれ?
空虚な胸中で思う。
何かをしないと。何か――
じゃないと死ん……――
ぼんやりと振り下ろされて来る剣を思って、待ち構えていたが、届く前にアリスは自分を支えきる体力をなくした。杖代わりにしていた剣を握っていた腕がその握力を無くし、支え所を失った身体は地にうつ伏せに沈みこむ。
敵の剣は虚空を薙ぎ、全く以って僥倖で一瞬の間、彼女は生命を永らえた。
次。
そう次だ。
のろのろと緩慢な動作で起き上がろうとして、左肩に鋭い痛みが走った。だが、それも一瞬で次の刹那には感覚がなかった。 靄が掛かった思考で背後を振り向くと南中に掛かった太陽の逆光の中に銀に照り返した剣が見えた。
ゆっくりと振り下ろされて来る。
それを平然とした心境で彼女は受け止めていた。いや、これで終わるとかそんな事にまで気を回す余裕がなかったというのが正解だろう。もう何も分からなくなっていた。
銀に輝く刃が彼女の命を奪おうとする刹那、それは再びその目的を達する事はでなかった。
「あれ?」
小さく呟く。アリス自身何が起きたか分かっていなかった。
眼前には一組の刃が広がっていた。
一直線に振り下ろされた剣をまた、別の剣が防いでいる。
ふと、似たような経験を思い出した。
あれは3年前の夏だった。いや、もう4年近い……
また、助けてくれたのか。
胡乱な瞳を周囲にさ迷わせると助けてくれた人が眼に入る。
遥か蒼天の中で風に藤色の髪が揺らめいていた。
「セレネス……」
その呟きに軽く頷いて微笑んだ。ただそれは彼女の言葉に応えた訳じゃなく、安心させる為だったように思う。
それでも救われた気がして、ほっとした。
――それ以後の事は覚えていない。
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