9.

 俗に後世、テミリオンの奇跡と呼ばれる戦争は初期の戦闘をシャルトル伯の敗北を以って終了していた。
だがしかし、シャルトル伯の陣容は敗北したには損耗は少なく、それは一重に一人の傭兵の戦果だったのだが、それを相手方が聞き知ったのは戦後も大分経ってからの事となる。
 一躍、時の人となった傭兵は、シャルトル伯の天幕に召還を受け、会談の場を設けられる栄誉を受けていた。
「ほう、貴様が爺の言っていた傭兵か」
 尊大な言葉を投げて寄越したのは彼の胸ほどしかない身長で胸を張ってできるだけ尊大そうに振舞っているようにも見える金髪を腰まで伸ばして紅玉色の瞳を爛々と輝かせている少女だった。
 彼女の後ろには、先の戦闘の指揮を執っていた元老が控えていて、その他には彼の隣にまだ若い20を少し過ぎたくらいの若者が居ただけだ。
 傭兵は端整な顔立ちをしていて立ち居振る舞いは傭兵のそれに相応しくなく、どう見ても貴族然としていた。とても傭兵とは思えないその雰囲気にその場の人間が息を呑む。
「あ……目覚しい働きをしたそうだな、会えて嬉しく思うぞ」
 雰囲気に呑まれたかの様に暫らく沈黙が下りた後、その事を認めたくないのか少女が奪い返すように口を開いた。
「ありがとうございます、閣下」
 そんな少女の小さな対抗心に気付かないとでも言うように彼は落ち着いた声色で答える。
 後ろではこそこそと元老と若い男の話し声が聞こえた。
 多分、通訳をしているのだろう。
 彼女の使用言語はこの地方の主流言語ではなかった。
「お、お前を呼んだのは他でもない」
 二、三、簡単な言葉を交わして、すると彼女は調子を掴んだのか、はたまた徐々に慣れてきたのか、喋る毎に威厳を含ませていく。
 だが、年端もいかない少女のそんな仕草には、可愛らしさやいじらしさはあれど威厳なんていう厳ついものは見出せなかった。
 きっと彼女には目標としている君主像というものがあってそれは多分、ガラッシアの、既に尊厳王と称えられている老王の様な威厳と静謐さとを併せ持ったそんな名君の鑑であるのだろうが、その努力は買っても、あいにく彼女は若過ぎた。
 それでも、将来はそうなる可能性を秘める才能の片鱗を言葉端に所々覗かせている。いずれ、その名前を頻繁に聞く事になるかも知れない、と傭兵は一人そう思った。初対面での彼女に対する心証は非常にいいものと言って差し支えない。
「現状、我が軍の最優先事項は軍の建て直しだ。早晩、戦闘は再開される。次は勝たねばならん」
 前触れもなく少女が話を核心へと持っていって彼は驚いた。
 セレンが呼ばれたのは、ただの領主にあり勝ちな気まぐれではなくて、何か心積もりがあっての事らしい。
「はい」
 当たり障りなく、セレンは答える。
 こういう微妙な話題で無用心な事をするべきではないと考えていた。
 だが、考える分にはそれを外れる。推論を巡らす事ができるのは人間に与えられた能力だ。故に彼は自分の頭を働かせて思索してみる。
 彼女にとっての選択肢は戦争継続の一つしかないようであるらしかった。
 確かに、いくら圧倒されたとはいえ、一度の、それもまだ戦力を一戦交える程には残す敗北で講和を模索しても足元を見られるのは明らかであるから、その件は現実的でないし、何より少女の目には持続の意志がはっきりと強烈に見て取れた。10を越えるか越えないかの少女にそれだけの意志を生み出す原因は何なのだろうかと訝しんだがこればかりは内情に詳しくなければ知り得ない情報だった。
 これは単なる野心的な戦争というより情が絡んだ戦争としての一面が大きい様だ。彼女の目はそれくらい忖度できる程の強さを持っていた。
 それはそれで問題はないのだが、終わった先を少女が見ているかによってシャルトルの領地の未来が決まる。
 むしろ、彼にはそちらの方に興味を感じたがそれは傭兵の分を超えた。傭兵は勝敗にだけ腐心していればいい。
「だが、指揮を執れる者がいない。私は軍学に長じていないし、爺は自信をなくしてしまった」
 彼女は自嘲気味に笑ってから、再び冷厳な仮面を被って紅玉色の目でセレンを見つめた。
その視線は抗い難く、流石に領主をしている――それも今現在を――その人間との差をセレンに見せ付ける。
「傭兵は、お前の働きで纏りを取り戻しているな」
 声の響きには何の色も見出せなかった。それを買っているのか、余計な事だと邪険に思っているのか。
 彼は当然、シラー傭兵団以外の傭兵団に対する権限は持っていなかったのだが、戦闘のどさくさの中で、加え、大分強引な手段を用いてそれを持つに至った。恫喝、懐柔、およそ人道に悖る行為も行ったが、それは戦争という極限状態の中での手段で、しかし、恐怖で以って律しているこの統制は絶えず反感が燻っている。頭の痛い問題であったが、あの状況では彼が指揮を執るのが最善の解決法だったと彼は信じて疑っていなかったし、その結果、今ここに呼ばれているのだ。それに反感を和らげる手段は、図らずも得ていた。
「ありがとうございます」
 この状況で邪険に思っているという解釈に無理があると思った。
猫の手も借りたい程の人材不足の筈だ。
 彼女はそれをただ、表に出したくないだけなのだ。プライドを傷つけるのだろう。
 だから、無表情になる。
 そういう感情はセレンにも同調できる部分もあったし、自分ならばもっと上手くやれるとも思ったが、彼女を好ましく思う一因になっているのも否定できなかった。
セレンすら引っ掛かっている人間の心理を利用しているから――もしかしたら天然かも知れないが――シャルトル伯はあの歳で戦争を起こせるくらいには臣を得ているのだろう。
「正規軍は爺が纏められる。それくらいの役には未だ立ってくれるだろう。通訳、これは訳してくれるなよ。――そこで、ものは相談なのだが、率いてみないか? 私の軍を」
 余りの提案に、柄にもなく彼は少女を見返した。
 大きな賭けに出たものだった。
その決断は決して易しいものではない。見れば、ひどく真面目な 表情で瞳の奥は揺れていた。それはそうだ。一度も言葉を交わしていないで、能力も人となりも知らず、全部を任せるという判断を正気でできる筈もない。
 なんでそんな決断に迫られたのだろうと、得意の推論を巡らせても、月並みの考えしか浮かばなかった。
 この地方は珍しく戦乱の嵐に巻き込まれていない。この地での戦争と聞いた時はセレンも些か驚いたものだった。余程、前代の領主が賢明だったのだろうが、何事にもメリットのみということはなく、平和を享受する中ですぐ外では血を血で洗う抗争が繰り広げられていて、軍の質が外の世界とは乖離し過ぎていたのだろう。
 故に、内部の人間のその軍学を信用し切れないのだ。加えて最元老である老人が眼も当てられない敗北を喫しそうになったとあってはその不信は頂点を迎えるのも無理はない。
 そして、その戦闘の敗北を戦争の敗北にしなかった傭兵に白羽の矢が立てられたのだ。
 しかし、それも大きな賭けであるのは疑いない。
 それでも少女は人生を左右する決断を簡単に決めたように軽く持ち掛けていた。内面の動揺を決して見せないようにして。
 益々、彼女に対する心証は良くなった。
 彼としても、そういう人間になら命を預けるのを肯んじられる。
 だがしかし、本当にそれを受けていいものか、判断が付かなかった。
 譜代の臣からは反感を買うだろう。それを彼女は抑えているのか。それだけの力を彼女は持ち得ているのか。
 もしそれができなければ、戦争なんて言っていられなくなる。
 無言でしばし押し黙っていると、彼女は焦りを隠すように言葉を重ねた。
「懸念は生ませない。これは、我々の総意だ。爺ができなかったものを他の人間がしようとは思わないからな」
 また自嘲気味に言う。
 彼女の苦心が伝わって来るようだった。
「……分かりました。持てる全能を以って勝利を引き寄せるべく死力を尽くします」
 意を決して、頭を下げる。
 これで彼もまた彼女と同様にこの戦争に全てを懸ける事になった。
彼女はほっと息を吐いて、その拍子に被っていた仮面が少しばかり緩んだ。
「そういえば、名は? 大事な事を聞き忘れていたな」
 少女らしい抑揚の付いた声だった。
「セレン・ウィオーラと申します、閣下」
 ほう、と何故か彼の名前は彼女の歓心を買ったようで目を細めて、それだけで済む問題を長引かせた。
「出身は何処だ? 北か南か?」
「ガラッシアです。閣下」
 その答えは益々、彼女を喜ばせた様だった。
 喜色を見せ、完全に立場を忘れた様にはしゃいでいる。
「私はスエキアの出身なんだ。行った事は?」
 なるほど、だからファラミル語を操っているのだ。こんなにこの話題に食いついてきたのだ。領主という立場と言語の壁が立ちはだかって彼女は孤独を囲っていたのだろう。
 そして同郷の人間と知って彼女の望郷の思いに火を付けた。
 何となく、彼女に対しては既に兄の様な気持ちを抱いていたものだから、彼は気が済むまで付き合うのも悪くないと思っていた。
「はい、何度かあります、閣下。かの土地は過ごしやすい気候ですので」
「だろう。うん、そうだった。穏やかで、あそこは――」
だが、彼女は意外と早く自分を取り戻し、また、セレンとの間にプライドのベールが降りた。 黙りこくり、全てなかった事にするつもりなのか、全く別の話題を話し始める。
「何かあれば、じいに言え。便宜を図るだろう。――こちらの言葉は?」
「使えます、閣下」
また、瞳に興あり気な色が浮かんだが、今回はそれだけで押し留めた様だ。
「下がっていい。――勝利を確信しているぞ」
少々残念だったが、これだけが機会という訳でもなかったので、一度礼をしてから、天幕を離れた。


BACK / INDEX / NEXT
SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ