15.

だから、傭兵にさせるのは嫌だったのに。
どうして、自分がこんなに苦しまなきゃいけないんだろう。
月が覗く夜、周りが騒がしい中で少女はそんな事を思った。
自分勝手極まりない論理だとは、エテルノ自身が1番よく知っていた。だけど、知っているだけで、それを改めようとも可笑しいとも彼女は思っていなかった。
もしかしたら彼が死ぬかも知れないという可能性が彼女を平常な精神状態を容易く奪う。
彼が死ぬのが1番耐えられない。
他の誰だったら勝手に死ねばいいと思う。だけど、彼だけは失うのが怖かった。
 彼は少女を存在させる1番大きな欠片で彼を失うのは自分を失うのと同義だ。自分が死んで生きられる人間なんていはしない。だって、死んでいるんだから、死ぬだけしか道は残されていない。
 彼は普通の人で、態々汚い世界に身を投じなくても生きていけたのに、とても頭もよかったし、かっこ良かったし、勇気もあるから、態々命を懸けるような世界でなくても彼はきっと成功するだろうに、なのに彼はこの道を選んでしまった。
 それを聞かされた時の事を彼女は思い出した。その時の味は全然、嬉しくないし、鮮やかでもない。あるのは嫌いな彼の冷徹な仕草と苦い涙の味だけだった。
 もう何年も一緒に暮らしているのに、彼の事は全然よく知らない。
 彼はお喋りだったけれど、それは古典についての論評とか食事に対する知識とか全く彼の根幹には触れない趣味の分野や、今の情勢、仕事の事ばかりで、大切な事を事前にエテルノに話したりする事はなかった。それに、自分の事も全く語らなかったし、その点ではエテルノも同じだったからお互い様だろう。それでも、愚かではない彼女は彼が気付いている様に仕草の一つ一つでどういう種類の人間なのかは勘付いている。
   彼女から見ても立ち居振る舞いは見事で、彼ほど存在感のある振る舞いを見せる人間を彼女は知らなかったし、それにとても高価な本の内容を殆ど諳んじるくらい知っていて、エテルノの知識は彼の教育による賜物で、彼の先生には今でも教えを受けている。 とても裕福の出だという事は何となく分かっていたが、それを聞いた事もなければ態度に出した事もない。彼女に取って、彼は彼でさえあってくれればそれでよくて、どういう出自なのかなんて全く興味がなかった。この勘案はただ、少しばかり回りの事に気が付く彼女が無意識の内に下している判断に過ぎない。
 様々な思いが去来してエテルノの胸は張り裂けんばかりだった。
 月夜の中で彼女は祈りを捧げる。
 月を守る為には月の神様にお願いするのが一番だろう。
 彼の能力を心配している訳ではなかった。彼であればなんだって出来ると彼女は信じて疑っていなかったけれど、勝利の中で、少し女神が横を向いた結果、流れ矢の一本で命を落とすなんて有り触れた出来事の一つだ。
 9割方安心できたとしても、彼女は何にも変わらないだろう。
 十全でなければ彼女は満足できなかった。
 だって1割も彼の命を奪う可能性なんて、考えるだけでもおぞましい。
(ああ、ディアナ様。あの人に貴女の加護を。守って下さるのなら帰ったら丘に神殿を建立しますから。他の神々に負けないくらい立派な神殿を。だからどうかお願いします)
 浮き足立っている人の多い中、一心不乱に彼女は願を掛け続けていた。
 何時間も彼女は全く集中を切らさなかった。
 彼女に声を掛けてくる者など一人もいない。
 戦闘の行方を興奮しながら皆は論じていたが、その興奮に任せて彼女に触れるなどいう馬鹿者は出なかった。
 彼女は彫刻の様な人で、感情を表に出す事なんて稀で、シラー傭兵団の同僚の従者たちにもそれは共通認識としてあり、美人だけれど薄気味の悪い少女に気を掛ける者など皆無だった。
 孤独に慣れている彼女はそんな事を異常だとも感じることはない。それに今はセレンが喋ってくれる。
 夜明けも近づいた頃、辺りが騒がしくなった。
 きっと、軍が戻って来たのだ。
 営舎にいた者は残らず外に出ているが、彼女もその中に混じって外へ出て、彼の帰還を迎える。
 彼は先頭で軍営地に戻ってきた。
 騎乗で、黒の大マントを羽織り、藤色の髪も姿全部が篝火に染まっている。
 姿を認めると、彼女は急に安心して、心が緩むのに気が付いた。気が付いてはいたがそれをどうする事もできなかった。
ぽろりぽろりと落ちてくる涙は止め処なく、彼女を安心で満たしていく。
 気付けばもう、彼の部隊は撤収を終えて、次に捕虜が入ってきて、それから紅の大マントを羽織った生意気な小領主が続き、最後に騎兵隊を率いたセレンのお気に入りが撤収して来た。
 鋭い眼光で雪の様に白い肌。それが遠くからでも血に染まっているのが分かった。美人は美人で、完全な偶像になっていた彼女は、認められると一際大きい歓声を受けて、しかし、自身がそれに気付いている様子はなかった。
 エテルノは彼女の事が嫌いだった。
 何が気に食わない、と問われれば、英雄と謳われるからだ、で、どうして英雄がダメなのか、と言われれば、それは結局はかの存在は人の血の上に立つからだ、と答えるだろう。
 英雄を称える社会は人を殺すのを是とする社会だ。人を殺す職業が栄誉とされるからその職業を選ぶ人間は何の心配――命を懸ける事以外――をしないで済むのだから、簡単にそれを選択してしまうのだ。だから彼は傭兵なんて危ない仕事を選んでしまえる。
 戦争に於いて人を殺すのを是としない国なんて存在しないし、もしそんな思想に染まった国があるとしたらそんなものは国ですらない。そんな事を分からない彼女ではなかったが、感情に押し流されていて理知的な思考を組み立てられる状態にはなかった。それに彼女が分別ありげに振舞ったところで何が変わるわけでもない。
 詰まる所、アリスを嫌いなのは、セレンを危険な目に会わせる場所の象徴みたく思えるだからで、全く彼女自身には関係のない傍迷惑なものだった。アリスには悪いとは思うが、彼女は丁度よい感情を向ける具象的な存在で、それはもうエテルノ自身にすらどうする事もできない。
 そんな事を思って彼女を見ていると、彼女の方もエテルノを認めたらしく目が合った。
 僅かに感じる負い目みたいものがあって、エテルノはその視線を直視できず、営舎へと戻ろうと翻る。
 その後ろからセレンの鋭い他を圧する怒号が響いていた。
 次の日、失地を回復しようと敵が戦陣を布き会戦を挑んだらしかったが、セレンはそれを受けなかったらしい。
 結局は、昨日あれだけ祈っても、まだまだ祈らないといけない。早く戦争を終えて、それもあんまり危険を冒さないで終えて貰って帰りたい、と思いセレンにそれを言ってみたが聞き分けのない子供を諭す様に、それは分からない、と優しく言い返すだけだった。
 セレンはきっと自分の事を嫌っているだろう、とエテルノは思っていた。最近は事ある毎に反抗している気がするし、ずっと嫌がらせみたいにその意思表示を止めていない。
 でも、彼は義務感のとても強い人だったから途中でエテルノを捨てるなんて事はする筈がない。が、それでも嫌ったりはするだろう。
 別にそれでも全然構わなかった。エテルノは彼の事を誰よりも大切に想っていたけれど、彼が彼女に対してそうする必然性はない。エテルノは彼が生きていてくれるだけで良く、その為に嫌われ役になったって全く気にしない。
 多分、その態度が彼との間の溝を深めているのだろうが、そんな事をエテルノは知る由もなかった。
「エテルノ」
 従者の仕事に精を出していると、通りかかったアリスが声を掛けてきた。
 女性にしては彼女は身長が高くエテルノはセレンを見上げるように見上げなければならなかった。乱雑に切り揃えた髪、何の手入れもしていないような肌。おおよそ女性としては失格だったが、それを若さが補っているのか相当の美人で、兵士たちの間で人気があるのは不思議ではない。セレンだって行く先々で騒がれていたものだ。
「何か?」
 彼女に対しては好感を得るような態度を取って来ていなかったから、よもや彼女から声を掛けてくるなんて想像だにしていなかった。内心、動揺が走った。
「いや、調子はどうだ?」
 アリスは世間話を始めて、またエテルノの動揺を誘う。
「何故ですか?」
 問いに訳の分からない質問で返してしまったのはそれが少し表に出たからだ。
 アリスは肩を竦める動作を見せて、――セレンの癖が移ったみたいに似ていた――話を変える。
「お前も出身はガラッシアなのか?」
 お前もという事はセレンがそうだという事で、エテルノはその事を初めて知った。まあ、出会った所はガラッシアなのでその可能性は高いと思っていたが。
「ええ。シオンの出身です。それが何か?」
 突き放す様な喋り方をしてもアリスは今度は機嫌が悪くなったりしなかった。今までの経験から言ってそういう対応をされる事は折込済みだったろうし、それでなければ態々話しかけて来ないだろう。
「私もシオンなんだ。まぁ、私はスラム街の出だからな。会う事もなかっただろう。お前はシオンのどこだった?」
 本当に彼女が何をしたいのかエテルノには掴めなかった。それでも、同郷の人間がここに3人もいる事には些か驚きを隠せない。大国の一つに数えられるガラッシア王国。その人間が後進の代名詞とも言えるこの土地に何の用でいるのか。それにエテルノはともかくセレンもアリスも才能豊かでこの地の人間の中では飛び抜けている。そんな才能があれば、人材を集めるのが趣味な老王の事、大国で自分の力を試す機会だって与えられるだろう。
あの国では無産階級であっても平民であれば性差も身分差も最終的な到達地に差をもたらさない。
「……それはお答えしかねます」
 彼女の答えは、聞けばガラッシアの人間ならば誰でもその地位を分かるものだ。しかし答えない、というのもそれと同等の意味を持っていたが彼女はそれには無頓着だった。
 生まれには多少なりとも誇りを持っていたから、適当に誤魔化すのは彼女の誇りが許さなかったし、対して、親しくもないアリスに本当の事を言って懸念を生むのも憚られた。
「そう。――っと、あまりサボる訳にいかんな。では、また。セレンによろしく伝えておいてくれ」
 アリスは特に気を悪くした様子もなくその場から離れて行った。
 全く、訳の分からない出来事だった。
 あまり人当たりのいいとは言いかねる彼女だったのに、非礼の覚えしかなかったのに、どうしてあんな態度を取ったのだろう。
 何か彼女の変心を促す事があったのだろうか。
 どちらにしろ、いい迷惑だとエテルノは思った。
「私はあの人の事が嫌い。だから、喋るのも嫌……」
 そうである筈だったから。


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