19.

晩秋も深くなると街並みは初夏の頃と全く変わってしまっていて大分新鮮だった。
アリスが所属しているのは第二連隊で、それは当然今この時も何かしらの仕事に勤しんでいることだろうが、彼女がまず帰るべきはミーネの許だろうと判断した。何よりミーネによって送り出されたのだから彼女に報告をすべきだと思ったし、今更第二連隊にのうのうと顔を出す勇気もなかった。
つまり、帰る都市は一緒だったから結局街に着くまで、アリスはセレンに同道した。もう、戦争の物々しさはなく、くだらない話に彩られた道のりだったが半年前にこの道を反対に上った時とは幾らばかりか欠けていて、そればかりは心寂しいものがない訳ではなかった。
だが、それに勝る勝利の味が空気を支配している。
セレンが中心にいたお陰でシラー傭兵団も中心に居て、多分それは、最初で最後の出来事だったろう。
まだ鮮やか過ぎるくらい鮮やかな出来事で、血の代償を薄めるには十分すぎる。
ラシェルは持ち前の尊大さに似合った大らかな行賞で、セレンもアリスも傭兵軍の中核を担ったシラー傭兵団も想像以上の褒賞を得た。完膚無きまでにフォンテーヌを叩き潰せた事で彼女も大きく力を付けたものらしい。
 加えて、セレン、アリスには特権まで与えられ、それはシャルトル伯の治世下においての行動の自由だった。
 余りにも一つの勢力と親密になり過ぎるのも考えものだったが、故にラシェルはセレンとアリスの個人にそれを限ったのかも知れない。それでも組織を代表してその場にいた訳で、アリスの態度一つでマリウス傭兵団の総意と外には受け取られかねなかった。
 受け取る前はそんな事も考えたが結局、セレンが当然とでも言う仕草で受けたのでアリスも受けざるを得なかった。この地方でも有数の勢力を保持する様になった彼女の不興を買うよりは好意を受けていた方がずっとマシだろうと思い込む事にして。
 それに、マリウスやアニタの思惑は分からなかったがミーネならばこの友好を歓迎するはずだ、とも思った。
 ルクセンブルクの慧眼、とセレンはミーネを言及するとき度々この形容詞を用いた。もし、それが事実ならばラシェルの将来性に賭けてみる事くらいはしそうで、その架け橋になりそうなこの交友の利用を当然、考えるだろう。
「お別れだね。アリス」
 街の入り口に着くと、セレンは言った。
「ああ、そうだな」
 ぶっきらぼうな口調で、セレンはそれには苦笑した。
「また機会があれば会おう。敵としては是非とも会いたくないけれど」
「それは、私もだ。――提携してる限りそんな事にはならないだろう」
「だといいけど。何が起こるかは誰にも分からないものだ。――そうだ、一つだけ助言を送ろう。君は髪を伸ばした方がいい。そちらの方が似合う」
 セレンはそのアリスを知っているかの様な口ぶりで言い、アリスの答えも待たずにまた先を続ける。
「外見にも気を使いなさい。これからは多分、見られる事が多くなる。それこそルクセンブルクに聞けばいい。嬉々として教えてくれるだろう」
 彼自身が大変に気を使っているのがアリスでもよく分かったのでその言葉には多少なりとも重みがあった。彼は生来の容姿に加えて洒落者で、誰でも一度は彼の事を見てしまうだろうとそんな誇大な感想を抱く程の魅力を湛えている様にアリスは思えた。それはラシェルやアジャーニの対応が証明してもくれるとも。
「心しておく」
 故にその助言に精々従おうと心がけるくらいの気持ちにはなった。嫌でも有名になってしまい、その珍しさは暫く続くだろうし、また市井の一員に戻る気もなかったからそういう事は気にしていかなければならなくなるのだろう。
「あの、ありがとうございました。……なんて言ったらよいか分からないのですけれど、とても感謝しています。どうぞ、お帰りになってもお健やかにお過ごし下さいます様」
 エテルノがセレンの影に隠れながらぺこぺこと頭を下げつつ言う。
 それが少し可笑しくて笑ってから、アリスは、エテルノもそうであるように、と返しそれで挨拶は終わった。
 道を分かれ、背を向けて進もうとすると、最後にセレンが一言掛けて来た。
 その言葉にびっくりして振り返っても、彼らも道を進み始めアリスに背を向けていたのでその真意を問いただす事はできなかった。
 それをセレンが回避したのは明らかだったが、それが可能性だけが散らばっていて、傍証を掻き集めれば容易に一つの結論になる話に有力な証拠を加える事になって、微かにそうじゃないかと思っていた謎が解決にこれでもかと言う程近づいたが、でもまだ大きな謎が残されていて反対にそれへの興味が増すばかりになってしまった。
 しかし、それを知る手立てはない。
 知らない、と言う事は知る必要がないという事だろう。もし知る必要があれば自然と欠片が集まって来るだろうと思い、アリスは道を辿る事にした。
 もう街には入っていたら、第二支部に着くまでは然程時間は掛からなかった。
 ただ、そこに近づくにつれて、多分マリウス傭兵団に属している人間が多くなっていくからだろうが変な、視線が集まっているのを感じて仕方がなかった。
 当然、羨望ではなかった。それだったら気にする事もない。もうシャルトルに居た時に慣れていた。
 だから、称賛でもなければ、反対に反感でもない。
 あるのは侮蔑に似たようなもので、何か罪人を見る感じのものだった。
 いきなりの対応の変化に、アリスの気分はすっかり沈んで投げやりになって、とにかく無視して先に進んだ。
 支部の建物はいつ見てもこの街で屈指の絢爛さを誇っていて、それは傭兵団の栄華を如実に物語っていた。
「バルナバ」
 玄関を通ると見知った顔があり、声を掛けると彼はびっくりした様な仕草を示して、それから思い出した様にアリスに近づいてきた。
「やぁ、久し振り。それとお帰り」
 何というか、完全にここに染まっていた。最初に感じた良家の子女風な雰囲気は霧散していて、セレン、エテルノやラシェルの鮮烈で輝かしいまでの存在感に似た雰囲気など最初からなかったかの様だ。それはもしかしたら家の違いなのだろうか、とアリスは思った。
セレンはラシェルに全く負けていなかったから、それと同等以上で、目の前のどこにでもいる普通よりちょっとばかり普通じゃない青年はそれ以下だったから、簡単に風化してしまったんだろうか。
「ああ。どうしてここに?」
 確か、彼は会計として本部に勤めていた筈だ。
「転属命令が出てね。どうだろう、これは栄転なのかな」
 苦笑気味にバルナバは言う。
 どちらがどちらなのかは、非常に取り辛い問題らしい。
 本部の規模もここと同等だった。と言う事はここの規模は支部の中では飛びぬけているという事だが、それもこれもミーネの手腕と言う評判だった。
「そうか」それ以上、彼に言う言葉もなくて会話を切ろうとしたが、そういえばと思い直して話を続けた。
「何か、変な目で見られてるんだけど。どうしてか知らないか?」
 その問いにバルナバは非常に気まずそうな表情をした。
 内容を知っているのだろう。
 それを自分が直接言うべきかどうか悩んでいるらしく、暫し無言を貫いてようやくの事責任を回避する言葉を吐いた。
「総長に聞いてよ。居るからさ」
 教えてくれてもいいのに、と思いながらアリスは、それ以上バルナバと話をしても無駄だと悟って、ミーネの許に行こう事にした。
「あぁ、不機嫌だから、気を付けてね」
 だったら行かせようとするな、と言いたかった。
 ミーネの執務室は3階にあった。と言っても軍医で医療隊を率いてもいる彼女がここいる可能性は大体半分くらいだった。
 扉の両脇にいる衛兵が守っていて、ちらとアリスを向いたがアリスがそれを返すと正面の壁へと視線を戻す。
 扉をノックするとバルナバの言った通り不機嫌な声で入室を許可する声が聞こえた。
 できれば、またの機会にしたかったが、そうとも言っていられないので意を決して中へ入る。
 ドアの奥は、すぐ正面から少し左にテーブルとソファがあって、そのまま左に行くとミーネの机があるという具合だ。その後ろは硝子の窓が全面に張られている。
「誰? 何の用? ――あぁ、アリス。帰ったの」
 不機嫌な顔と声が一瞬で様変わりして普段のものに戻った。ソファにミーネが勧めるので腰を下ろすと正面にミーネが座った。 何となく懐かしい気分に襲われてアリスは自分の感情に戸惑った。
 金髪はラシェルのよりも薄い感じで瞳も赤ではなく碧だ。
歳も全然違うし、ミーネは、アリスの友人で上司。
それでもラシェルを思い起こさせて、それが逆にミーネに対する懐郷になっている。
「さて、そうね。色々報告は聞いてる。大活躍だったそうじゃない。ええ、私はとっても嬉しいわ」
「目論見通り行って?」
「ええ、まあ。……ただね。そうだけとも言ってられないのよ」  途中からミーネの顔がどんどん曇っていった。
 もしかしたら、自分に彼女の不機嫌の原因があるのかも知れない、と思ったのは多分間違いではないだろう。
「信じられる? 30%減俸半年よ。誰のお陰で保ってると思ってるのかしら。独立するぞ、このやろー」
 一気に捲くし立てて、ぶすっと外を向いた。
 その仕草はエテルノほどではないにしても随分な美人だと全く関係のない事をアリスに気付かせた。
「もしかしなくても、私が原因なんだろう?」
 問うと、ミーネは苦笑した。
「そうでもないわ。――貴方を送ったのは私の独断だったのよ。 まぁ、ちょっとばかり勝手をやり過ぎたのはある。それに、セレンが味方したのはシャルトル伯だったでしょう? 下馬評じゃフォンテーヌの方が上だったのよ。それで、詰まらない勝利が欲しかったのかマリウスはあちら側に派遣したの」
 説明はまだ半分も過ぎていなかったがそれでアリスは察した。
 あの目、雰囲気。そうだ。アリスは味方を殺した。
 捕虜の中に見知ったのがいたのは当然だ。彼らがそうだった。  ああ、そうだ。
 それを気付かせる手がかりは、何処にでも何時にでもあった。
 アジャーニがアリスの所属を聞いたのもきっとそれの所為で、大方セレンがアリスの事を保証したのだろう。
 あの中で知らなかったのはアリスだけ、という訳か。
 代償は大きい。
 不信感を買い過ぎる。
「送ったのは私だったし、元々、雇われたのはシラー傭兵団の方が先だった。全く自分たちの責任を棚上げして私に被らせるなんて卑怯じゃない?」
 どうにもミーネはその措置に納得していないようだった。
 独断専行は認めながら、それが原因で――いや、待てよ。
「いいのか、提携先と戦ったりして」
 信用に関わる問題ではないだろうか。傭兵といえども商売とするなら信用は第一だ。特に提携なんてそれがなければできる筈がないし、マリウスの取った行為は背信になるのではないのだろうか。
「よくはないわね。でもシラーなんて知ってる所も少ないし、それに加えてマリウスと提携していると知っている人間は更に少ないでしょう。と彼らは判断したんじゃないの。――ま、大火傷したけど」
 それは溜飲を下げるには役に立った様でミーネは人の悪い笑みを浮かべた。
「送った隊はほぼ全滅。貴女に散々やられたらしいわ。貴女も容赦なかったっていうし。――知らなかったんでしょ?」
 アリスは頷くしかなかった。
 これでアリスの声望は地に落ちただろう。それを取り戻すのはかなり難しそうだ。
「だから、閉じこもってるとダメだってあれだけ言ったのに。でもいいわ。私は知ってても殺したわ、きっと」
 本当に頭に来ているのだろう。怒りは全く衰えていない。
 バルナバが知っていたくらいだから、もう何日もこの状態にあるのかも知れなかった。
「そういう問題でもないだろう」
「そうね。貴女は、まぁ私の命令だったけど自分も悪いのよ。仲間を覚えてないんだから」
 そう言われるとミーネを責める事はできなかった。全くその通りで、もし敵であっても何らかの気にしている素振りでも見せれば、決定的な反感は買わなかっただろう。
 それでも、それでもだ。
 仮に送られなかったらこんな事にはならなかったのではないか。  と、思って心の中で苦笑した。
 それに従った時点でその責任は全てをミーネに帰す事はできない。
 結局はやはり自分の至らなさが全てを招いていた。
 他人にそれを求めた所で自尊心か虚栄心を満足させるだけで本質的には何の益もなかった。
 拘る所を見誤れば人間などすぐに転落するものだ。
「でも、私に大きな責任はあるわ。ごめんなさい、貴女にも迷惑を掛けた」
 いや、とアリスは急に気恥ずかしくなってしどろもどろになってミーネを弁解した。
 するとミーネも軽く笑い、ようやくの事、その怒りの洗い流したに見えたのだったが、
「減俸は貴女に投資したとでも思う事にする。それくらいの価値は十分に今はあるでしょう」
 意外と金に執着を見せる彼女だった。
 どれくらい天引きされたのか聞いてみると、どうせ隠すものでもないとミーネは言い、その額は減俸された分だけでアリスの年俸の倍に迫る程あった。
 という事は年収は12倍近くその差は開く訳で、総長と軍医までこなすナンバー3の実力者の価値は一兵卒の12人分らしい。
 それでもなんとなく少ないと思ってしまったアリスはミーネの事を過大評価しているかそれとももっと上層部に対して幻想を抱いているのか。
 ただ、彼女に買われるのは悪い気はしなかった。
 実力者、セレンが言及するほどの人に認められるのは自尊心を満たすし、自信にも繋がる。
 そしてミーネは最後にアリスを1番喜ばせるカードを残していた。
「罰せられはしたけれど、それは行動に対して。――私がそう仕向けたんだから――貴女の能力は誰の目にも明らかになったわ。かなり特例になると思うけど、直ぐに昇進の沙汰があるでしょう。私も強く推薦しておいたから。貴女はもうこちら側の人間なのよ」


BACK / INDEX / NEXT
SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ