25.

ミーネの華奢な身体は、これが女性特有のものなのだろうと、自分では感じないものを実感させるには十分すぎる程女性だった。
彼女は馬には乗れず、かといって馬車にも難色を示したのでアリスの前にこじんまりと軽く腰掛けるといった感じに足を揃えて落ち着く事になった。
旅装に衣を替えたミーネは宛ら、お忍びで旅行をしている貴族の子女のようで目深に被った帽子から鮮やかな金髪が収まり切らずに零れているが、それがまたその印象を強くさせている。アリスや他の同道者は彼女の護衛に映るだろうと自嘲気味に思った。
同道する者は僅か5人しかいない。その内の一人は武器も満足に扱えないバルナバで、無論、彼にも彼なりの役割があるのだが、それを除いた4名しか戦闘に耐えられないとなれば、それは本当に護衛としての役しか果たせない。
アリスの騎兵隊は、今や完全に副官だった男が指揮官然としていて、アリスの不在はなんのマイナス事項も生み出してはいなかった。そんな状況であるのに態々彼女をその首に戻して、優秀な人材が真価を発揮する場所を奪う事を嫌ったのか、ミーネは彼女を自らの傍らに留める事で副官の職権を暫定的な状態で留めておく事にしたのだろう。ともかく、実質的に現状騎兵隊を率いているのは副官であり、彼は優秀な男だったので、命を違う事無く騎兵隊を率いてこの国を縦断中だ。尤も、目立つ事を避ける為か、全部隊が最小の単位である5名程度に分けられた小隊に分けられていて、隊長たちは等しくアリスと同じ様に数少ない配下を纏めているだけらしいとは言われていたが。
とはいっても騎兵隊の全体の情報は全て副官に上がっているだろう。彼女は他の隊がどうなっているのか全く知らない。
それはまったく不満だったが、とやかく言った所でそれが好転する見込みはなかった。彼女は1年近く現場から離れていて、その間情勢がどう動いているかも全く無知だったし、もしかしたら騎兵隊の中でも何かしらの変化があったかも知れない。そうだった場合にそれに適応する時間は余り残されていないし、その努力を払う為の体力が自分でも信じられない程減退していて、全く余力がないだろう。
やはりそれもミーネは見越している。リハビリがまったく相応しい旅路だ。ガラッシアに着くまでに万事整えておかねばならない。そうした時にまたミーネが相応しいと思う役割を彼女に与えるだろう。
 旅程は急ぐものではなかった。騎乗ではあったが駆けさせる事は殆どせずに、人が歩く速さとあまり変わらない速さで道を下っていく。シャルトルの領地が北部を殆ど覆っていて、彼女の統治は瞬く間に浸透しているらしく彼女の領地を通行する際は特別の配慮は必要としなかった。
それでもできるだけ人目から逃れるように進み、宿泊も野営を可能な限り選択した。ミーネは露天の中で夜を過ごした事がないと言い、初めての夜は年甲斐もなくはしゃいで、小さな天幕を張る作業をしている4人の兵たちの長年の業を興深げに観察していた。よもや雲の存在である総長から、その好奇心の赴くままに天幕の張り方について容赦ない質問を浴びせられる事になった哀れな4人の兵たちは面くらいながら、まともに使った事もない敬語をたどたどしく用いながら必死に応対していて、その様子をアリスは焚き火を囲む椅子に座りながら眺めていたが、ようやく満足したのかミーネが戻ってきた時には、その焚き火が辺りで唯一の光源になっていた。
アリスといる時のミーネは少女のようだった。普段の玲瓏たる美女、怜悧な瞳を全く見せないし、落ち着いた感情の起伏を感じさせない声色も全くない。その様子に4人の兵ばかりでなくバルナバも驚いていたが、ミーネは自らを曝け出すのを一向に気にしなかった。ただ無邪気に初体験のものに驚き、その機知の源泉である好奇心を発揮し、アリスには友達のように語り掛ける。
自ら作り上げた自らの像を――それも彼女のような立場には必要なものを備えた――壊していく様は一抹の不安を抱かせずにはいられなかった。
それに、この旅路を知らせた時の会話もアリスの胸深くでどうにもならない不安感を少しずつ大きくしている。
しかし、それを言葉には出せなかった。
ミーネとの会話は楽しく、また有意義で、その雰囲気を壊す事は躊躇われたし、それに彼女には彼女なりの考えがあってそういった行動を取っているのだからアリスごときがかく言うのも可笑しな話だった。
「子供じゃあるまいし」
それでも、天幕やら星空の下での夕飯などについて感情的に語るミーネに冷や水を浴びせ掛ける事くらいはした。
少しむっとした感じで唇を尖らせて反抗する様はとても30近い女には見えなかったが、そういえば、年齢を聞いた事がない。最初会った時に20代に見えたから4年経った今は30に掛かるべき筈だが、容姿には大きな変化はないし、いつのまにか、アリスの方が背も高くなっていて、ミーネの方が見上げなければ視線を合わせられなくなっているのでそれで印象が随分と変わったのかも知れない。
「人間、みんな子供を通るわ」
「今は大人だろうが。それに―――」
同道の者を見渡して男は意外と大よその年齢は見当が付きやすい。
「この中ではかなり上の方だろう?」
バルナバはアリスよりも3つ上で21だし、他の兵たちは20代中頃が大半で一人だけ30を越えている4人の中でも中心格の男がいるだけだ。
しかし、ミーネはくすと小さく冷淡に笑い、感情の篭ってない明らかに傷つけられたといった声色で言った。
「私、まだ21なんだけど」
それはまさに驚くべきことだった。
「21? 3歳しか違わない? じゃあ、最初会った時は」
「あの時は18歳。7月が誕生日だから」
そこで、バルナバが出世の最短記録を持っているのはこのミーネだと言っていた事をようやく思い出した。なるほど、第三位の実力者の地位をあの時には既に固めているようだったから、隊長格になったのはもっと遥か昔だろう。アリスが隊長になったのが16の時だったから、それを1、2歳ばかり下回るのかも知れない。
もしかしたら、セレンなどよりもずっと怖い人間なのかも知れない、と初めて恐ろしいような気分を抱いた。
早熟過ぎるし、黒い噂も沢山聞いている。
ミーネはアリスに沢山時間を割いていたがそれはアリスと同様に友達があまりいなかったからだ。副長のアニタとは友人だと聞いた事があるが、彼女はガラッシアの国境近くのアルジャンにいて、ミーネの支部は最北にあり、交流もままならない。今回の旅路の最終目的地はアルジャンでそこに団長と副長も居て、合流してからガラッシアに渡るという話だった。久方振りにアニタとは会うだろうし、それが浮かれている原因の一つかも知れない。親しい友人はそれくらいだった。セレンと文通していたり交友の幅はアリスなどよりずっと広いのだろうが、本質的には少しは似ているのかも知れない。
「とても心外。なに、貴女はもしかして自分より10歳は上だと思ってたの?」
憮然とした言葉には押し黙るしかなかった。マリウスやアニタが30前後だったものだから、ついつい人括りに見てしまっていた。それに20歳そこそこで組織の顕職に就いているとは普通想像できない。ミーネはそれを要求以上に勤め上げていたのだから尚更だ。
「貴女も似たようなものでしょう。私は貴女みたいに捻くれた性格をしてるわけじゃないから、スムーズに行っただけよ」
それにも押し黙るしか道はなかった。彼女がどれだけ骨を折ったか分からないではなかったし、また、今のアリスの心情があの時に多分に似通ってきているのを透き見ているのだろう。
「貴女ももう少し、要領よくすれば私がこんなに苦労する事もなかったのに。今からする話だってね」
ミーネはアリスが、どうして傭兵団がガラッシアに雇われる事になったのか知りたがっており、それを話してくれる心算ではあるのだが、釘を刺すのは忘れなかった。
「あれだけ、情報を得るようにと言ったのにね。セレンにもそんな事を言われたのではない?」
彼との会話で、それの無さを非常に恥ずかしく思ったのを思い出した。しかし、何事もその時が過ぎればきれいさっぱり忘れてしまうのが人間の常だ。今更、それを思い出して再び赤面しても、きっと明日には忘れてしまうだろう。しかし、今日はそれに興味を示すだろう。
はぁ、と一つ溜息を吐いてから、ミーネは顔を近づけて、それから声を落とし、喋り始める。
特に隠すような事でもないだろうが、世間話を話すように話すものでもない。
「やはり、皇太子、いえ今は皇帝か。どっちでもいいけど。彼は野心家だったわ。喪も明ける前から活発に動いたみたい。その一つがこの地方の同盟でしょうね。個別に一つずつ結んでいったそうよ。最後にシャルトルのお嬢さんが残って、でももう従うしか残されていなかったって。中々強かなようだわ。それに同盟と平行して南征軍も組織したみたい。彼自身もこうもすんなりと同盟が結べるとは思ってなかったのでしょう。――全ての勢力が膝を折るような完勝は。そして、無傷の南征軍の持って行き所として」
「ガラッシア、という訳か」
「ええ、そう。それは誰にだって分かる。だって、何にも躓いていないのに歩みは止められないでしょう。その上、この地方は勢力下に入ったから縦断に心煩わせるような心配はない。それにガラッシアの老王は病勝ちという話だし。開戦は必至でしょうね」
ミーネは恬淡と語ったが、アリスは心中穏やかではいられなかった。
そんな適当な理由で祖国が危機に瀕するなどと考えただけで、どうしようもない苛立ちを覚えた。祖国には家族がいるのだ。愚かなとても好きになれなかった両親は置いておいても妹たちが。可愛かったロザリーも今は13歳になっている。どんな風になっているのかは想像できない。母親に似たのかそれとも父親か、アリスは最後に彼女を見た時を思い出していたが、彼女の髪はアリスに似て漆黒で、瞳は真ん中の妹に似て翡翠色だった。
ガラッシアに郷愁の念は強いし、再び地を踏めるという事でほんの少しは浮かれたりもしていたが、かの地に向かう理由を考えるとそんな気持ちは心の奥底へ押し込められた。
そんな物見遊山で行く様な用件ではない。傭兵団が雇われたとなれば、それは当然戦争の為だ。勝つか負けるか分からない。勝てば独歩を維持でき負ければ覇権を認めなければならないという、およそ益の小さい戦争。
「勝てると思う?」
ミーネは肩を竦めただけだった。
「さぁ、分からない。老王の健康次第じゃないかしら。他は新しい人間が出てくるとか。あまり芳しくはないわね」
その答えは気分を沈めさせるのにしか役に立たない。それが表にも出たのか、ミーネは諭す様に小さく笑う。
「私たちはやれる事、命令される事をやるだけよ。他の事で一杯になってしまってはダメ」
華奢な腕を伸ばして、肩を叩きそして、腰を上げた。
ぐっと背伸びをして、アリスを振り返り
「もう、遅いわ。寝ましょうか」
と優しい声で問うた。
アリスは頷いて、その日はそれで終わった。
 次の日は朝早く起き、急ぐわけでもないのに、と自嘲したが、結局全員をそのまま起こし旅程をこなした。シャルトルの統治は良く、それからも何かに煩わされるという事はなかった。一週間、二週間とできるだけ人と接触しないような道を選んで進むと、半分以上の旅程を踏破することは造作もない事だった。
「隊、アリス様」
そして、こうして不自然な言い直しを以って呼ばれるのも慣れたものだ。どういうわけか、ミーネ以外の人間は彼女の事をそう呼び、多分それはアリスの地位が多少なりとも変化したのだろうと推察するくらいはできたが詳細は分からなかった。ミーネに聞いても良かったが態々教えないものを聞く事も何となく癇に障って憚られ、言い直される日々を甘んじて受けている。
「なんだ?」
もう出発してから15日目で、日課になっている天幕を張り、夕食を食べ、後は寝るか見張りをするかとなった時間帯にアリスとミーネの天幕に4人の中の頭が現れたのだった。
「食料が尽き掛けています。そろそろ、また補給しなければなりません」
「そうか、分かった」
頷くと、敬礼して彼は下がった。
アリスは地図を広げ、もうシャルトルの勢力圏から一端、離れる事になるのを確かめた。
「どうするの?」
ミーネが好奇心を発揮して覗き込み、仕方なくアリスは指で地図をなぞる。
「シャルトルの勢力圏外で街には近づきたくない。明日、境界に近い街まで行って買い占めて、そこからできるだけ早くまた、シャルトルの所に着きたいな」
そこだけが飛び地でシャルトルの領地に沿って行くと大きく時間を無駄にしてしまう。直進するしかないが、彼女が統治していない土地がどれほど危険かは分からない。
「なぁ、やはりここは5日くらいは掛かるだろうか?」
ぽっかりと抉られている円の直径をなぞりながらミーネに問うと彼女は頷いた。
「多分。それくらいになるでしょう」
5日分で住むのなら、そこまで量は必要ないし、ここを渡りきってしまえばアルジャンまでは2日で着く。
あまり多くは必要ないのであれば、境ではなくて内にいる時に補給すればよかったのだが、今更言っても詮無き事だった。完全に不注意で招いた事で、自分の不明を呪うしかない。
もっと気を掛けていれば、バルナバにでも聞いておけば難しい事ではなかっただろう。ミーネはあまりこういう事では頼りにならないし、そうであればアリスが責任を持たなければならない。
少なくとも6人の生命の責任がある。その内の1人は特に格別の配慮が必要でもある。
そう考えたら、副官に乗っ取られかけている指揮権の喪失も少しは癒えた。ミーネは傭兵団の人間で最も失ってはいけない人間の一人で、それを任せられるという事は信頼の証でもある。功は少なく責任は大きいが、それでもやりがいがなくはない。
「できるだけ、はやく抜けるようにしたいな」
「やはり危険かしらね。もし、何かしらの事があったらどうするの?」
「逃げる」
追い払ったり、迎撃したりするのは無理だろう。戦闘ができる者が4人。皆腕は良いから、ミーネを逃がすくらいの時間は稼げるだろうがそれ以上は無理だ。だが、総勢7名の中に女が2名、もし、襲ってくるような盗賊が侮って少数だけなら撃退も可能かもしれない。が、結局襲われれば、もう駆け抜けるしかない。もはや安全ではない事がそれで立証されてしまうし、次に襲ってくるとしたらもっと大人数になる。
ミーネは肩を竦めてそれに同意した。
「そうね。――シャルトルの領地で遠回りするのは?」
「旅程が3倍になるが、それでよければ」
「よしましょう」
間髪入れぬ即答だった。
元々、1度シャルトルの領地からでる事はミーネが決めていたのだし、それに沿って進路を組み、途中で――しかも終盤にさしかかって――それを撤回するとなると、失うものは大きくなる。それを彼女が分からない筈はなかったから、少しばかり彼女も危険性に怯えたりしたのかも知れない。
 次の日に、食料を買い占める為に村へと向かった。治安が乱れつつあるのか、品物の数は少ないし価格も50%増しになっているのがざらにあって100%を超えている品目も少なからずあった。それに、その村を訪れる者は、須く珍客扱いされる事は避けられなかったし、それで大分人目を引いてしまった。しかし、それをどうにかできる筈もない。できる事といえばなるたけ早急に事を済ませるだけで、その為に、食料を売っていた若い女をせっついても「そんな言われても困りますよ。兵隊さん。わたしたちだって必死にやってます」とのらりくらりかわされてしまい、全てを用意するのに一日無駄する羽目になった。
結局村を出る事が出来たのは日が斜めになって久しくなった頃で、その日は村に1泊しようかという考えも弄んでみたが、とても歓迎している雰囲気ではなかったので当初の予定を繰り下げて実行するしかなかった。
その村を出ると、直ぐに小さな山に入り、そこからは2つ程山を越え、湾曲した道を進むと再び、シャルトルの地へと戻る。
直線距離では3日程だが、曲がりくねった道はそれを倍近く引き伸ばしていた。
その日は山を登りその中腹くらいで姿を現した開けた平面の広場でその夜は過ごす事にした。
見張りを二交代で2人ずつここに唯一通じる道の近くに立たせ、アリスは今日は天幕を張らずに焚き火の回りを囲んだだけの簡易な寝所の真ん中に火番をしつつ、起きておく事にした。
火を絶やさないように、時折薪をくべながら、ぱちぱちと火花を時折ちらす炎を見ながらそうして夜は更けていった。
 物音が辺りに響き渡ったのはそれから何時間も後だった。一つ叫び声があがり、その一拍後に再び同じ様なものが聞こえた。
それまで、ぼうっとしていたものが瞬間的に舞い戻ってくる。
同じ反応を寝ていた全員が示し、一様に身体を起こした。
「隊長」
二つ声が同時に、やはりアリスを呼び慣れている呼称で呼んだ。
その声にアリスは頷き、命令を出す。
「一人、助けに入れ。分かっているな? よし、行け」
すばやく彼らはどちらか行くか決め、仲間の助けに行った。その後に、ミーネがのそのそと目を擦りながら近づいてきた。
「私はどうすればいいの?」
意外と至極冷静で、どちらかというと睡眠を阻害された方に文句を言いそうな雰囲気で動揺は感じさせない。
「バルナバ」
戦闘では全く頼りにならない同期を呼ぶと、こちらの方が明らかにうろたえていた。
「ミーネを守れ。命に換えてもな」
そんな脅し文句を言ってから、剣を放り投げると動揺したのか掴み損ねて地面へと落とし、慌てて拾い直した。残っていた1人にもミーネに付く様に言い、彼は一言も発せずに頷いた。
「貴女はどうするの?」
「状況を見てからそちらに行く」
お互いに頷いて、ミーネはバルナバをせっついて闇に消えて行った。
騒ぎが大きくなってきていた。
相手は何人だろう。多分、そう多くない筈だ。
留まっていると、騒ぎはもっと大きくなっていく。鉄の噛む音。罵る声。
懐かしい気がしたが、同時に戸惑いも多く感じていた。長く実戦を離れすぎた。それに騎兵隊は追撃が主で、攻められる展開は更にずっと昔にまで遡らないといけない。
アリスは剣を引き抜き、声の方へと近づいてみた。
夜闇に紛れても夜目が利く状態になっていれば、いくらか近づけば10メートル程先は見えるようになってどういう状況になっているかは把握できた。
配下の3人は奮闘していた。
そこら辺には死体が2、3体転がっている。
そして一人が2人を相手にして、全く負けるようには見えない。本当に選りすぐりの連中だ。
刹那、反対側から悲鳴が聞こえた。
(しまった)
大方、一手を回り込ませたのだろうが、まんまと引っかかったわけだ、しかし、一人は使える人間を寄越していたのにそんな簡単に危険な状況になるとは思えない。
「隊長」
その声に、反応した3人がアリスに伺いを立てる。
「私が行く」
そう言ってアリスは走り出した。
ミーネはかなり奥、木々が生い茂る所まで逃げたらしく、中々着かなかった。それでも奥深くに、木々の先で引っかかれながらも進むと、漸く見えて来た。
配下の兵士が1人、2人を相手にして、ミーネは何かに覆い被さってそれに何かをしていた。それがバルナバだろうとは、姿が見えなかったからそう推察しただけだ。
アリスの登場は場に劇的な変化をもたらした。
気付いた敵が1人こちらへ差し向けられて、一対一になった敵は直ぐに4人の内の頭だった男に屠られた。
打ちかかってくる剣をアリスは避け、剣を相手に向けた。上手い輩ではない。だが、アリスも腕はずっと落ちている。
切り掛かると、相手はそれを刃で受け止め、一際高い音が鳴った。と同時に鋭い痛みも走る。手が感覚がなくなる程に痺れた。 アリスは左手を添える。そうでもしなければとても持っていられなかった。
敵がにやりと笑ったのが見えた。まだ若い少年だ。アリスよりも若い。
4人の腕と比べられたのだろう。アリスは万全でも彼らよりは劣り、今では雲泥の差がある。
じりと、間隔を詰めて来て、やおらという時に切り掛かってきた。それをアリスは身体を屈めて避け、空降った後に切り上げようとする少年を睨んだ。
効果があったのか攻撃のテンポが遅れ、そのお陰でアリスはそれをまた避ける事ができた。
そして、1度大きく離れ、今度は此方が笑う番だった。
若い故にそんな事で逆上し易く、簡単に挑発に乗って襲い掛かって来て、簡単な太刀筋にアリスは少し身体をずらしただけで避け、大きく空振り隙が多くなった所を切り付けた。
あっさりと切られ、しかし、浅く、振り返る刹那にもう一度大降りの攻撃を寄越して来たが、それも簡単に避ける事ができそれを掻い潜って止めを刺した。
崩れ落ちる人影を眺め、動かなくなるのを見届けてから、ミーネの元へと駆け寄った。
ミーネは仰向けに寝たバルナバに覆い被さって、何か大童のようだ。見えるだけだとその手が何かに濡れている。バルナバの顔を見れば汗が粒のように浮いていた。
「ああ、もう。仕事を増やしてくれちゃって。減給にするわよ」
「す、すみません」
軽口を飛ばしながら、ミーネは繊細さを保持しつつ目にも止まらぬ素早さで何か、――多分止血だろう――を施している。
惚れ惚れするような手際の良さで、アリスは見入っていた。
がさごそと、物音が近くからしたのにも気付かずに。
それに最初に気付いたのは、死体を改めていた護衛の兵士だった。
「隊長」
鋭い叫び声にアリスは我に帰り、何が起こったのか把握した。
1人だけ隠れていたのか、それで帰れば良かったものを、仲間を殺された恨みを果たしたいのか自暴自棄になったのか襲い掛かってきたのだ。
幸い、迎撃には間に合った。
降りかかってきた凶刃を自らの凶刃で防ぎ、途端、何が悪かったのか、アリスの剣はぶつかり合ったその箇所から折れてしまった。
「な」
思わず、息を呑み、そして、それからの事は時間がゆっくりと流れるように感じた。
一転して強者になった敵は、寸暇も見逃さず袈裟懸けにせしめんと刃を振るい上げ、アリスは全くの無防備でそれを迎えるしかない。
その瞬間、死の可能性が頭を過ぎり思わず、目を閉じた。
しかし、その刃がアリスを切り刻む事はなかった。
あまりに遅いのでアリスは目を開けて覗い見てみると、敵は振り上げた瞬間で凍っており、そして、剣を取り落とした。
地面に剣の先が触れる音が耳に届くのとほぼ同時に身体も沈み、その向こうに男が立っているのが見えた。
「運が悪かったですね。隊、アリス様」
アリスが初撃を防いだ間に、回りこんでくれていたらしい。流石の判断の早さだった。
「そうでもない。助かったよ」
頭は剣を仕舞い、アリスは持ち替えて、握手を交わした。それから自然と間に横たわる死体に目が行き。
「女?」
思わず、声を上げた。
頭が跪き、検分してから、アリスに顔を向けた。
「こいつは村で見た顔ですね。そういや、あいつも」
同じく数メートル先に横たわる死体を指差し、頭は言う。
「なるほど。とんだ村人だな」
こうなっては、全ての準備が半日、夕方まで掛かったのも作為的なものだろうと勘繰るしかなかった。夕方に村を出発すれば行ける先は大体決まる。そこを襲えば――
「出発した方が良いかもしれんな」
「ええ、その方が賢明でしょう」
できるだけ距離を稼いだ方がいい。騎乗である事を最大限に利用するべき所だろう。
「そちらはどう?」
とミーネに水を向けようと振り向くと、もうミーネは立っていた。その後ろには右手を釣ったバルナバも弱弱しくも立っている。大分血を失ったらしい。
「問題ないわ。これも」
「心配いらない。ちょっとふらふらするけど」
ミーネはかなり猛々しい瞳をしていて、あまり今は逆らわない方がよさそうだった。それに彼女が大丈夫なら問題はないだろう。――少なくとも死ぬ事はない。
それで、決断を下す事が出来た。
「今から出発する」


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