44.

 退役兵たちの判断は流石に素早く躊躇いがなかった。総督が彼らの根絶を意図しているとはっきりと確信するや、ガラッシアに見切りをつけ、各地に檄文を飛ばして反乱を扇動した。それに伴い根拠地を変え、属州最南端の峡谷の間の防御の固い街に拠り、対決姿勢を強めた。反乱は遠くで起こすのが定石というものだ。鎮圧軍を遠出させれば補給線も遠くなり、その維持に多少の神経を使わねばならないし、長征に兵の不満が高まるかも知れない。それに軍団と州都の間に広い距離の時間的余裕が生まれれば謀略も仕掛けられる。
 彼らの思惑にある程度乗っかろうとセレネスは考えていた。彼はまだ、何の実績もない少壮の総督で、相手の思惑に乗って組み易いと考えられた方が要らぬ警戒を呼ばずに楽にことを成就できるかもしれない。兎も角これでセレネスは反乱を起こされた総督。それも不正を正している最中に逆襲を受けた不運な若い貴公子という望ましい評判を、民衆から与えられることになった。退役兵たち反乱軍の檄文は彼らと利害を共にしていた少数の部族にしか効力がなく、大勢を左右するといった動きにはなっていなかった。
彼は時期を見計らい、金をばら撒いて忠誠を買った第8軍団の出動を命じた。1個軍団6000に各部族供出の援軍3000の現状に望ましい戦力である。反乱軍は多く見積もって同数というところだろう。彼らについた部族の保有する兵たちと根拠地の地理的要因を最大限活用して1個軍団集められれば上々というところだ。
 州都防衛には軍団副官として連れて来ていたホルタスに2個大隊、援軍1個大隊の3000を指揮させる。彼の軍団での席次は財務官と兼任で副官を務めるアリスの次で、総督の留守を任せるのに相応しい地位にあった。
 他に数名、縁故によって登用された副官相当がいたが、それはホルタスと遠征に適当に振り分けた。彼らの能力を測る余裕はなかった。今回は信頼の篤い順に重責を担わせるだけの時間しかない。
 その為、必然的に信頼の最も厚いアリスには他とは隔絶する過重な負担が掛かっていた。財務官としての属州再建と遠征軍の副司令という責務。実質的に総督の任を果たしているのは彼女と言っていい。押しつぶされるだろうかと懸念がなかった訳ではないがどうやらそれは杞憂で済ませられそうだ。行政において実務能力は欠けるが組織の構成能力とその運営能力、的確な判断力は欠点を補って余りあり、軍団内においても副指令という地位をこなすのに何の瑕疵も見出せなかった。ルクセンブルクの許での経験が生きているのだろう。流石人材を見出すことに定評のある傭兵団の舵取り人は、アリスの本質を見抜いて必要な教授したらしい。
 結果、アリスは軍政両方にその才が及ぶことを示しつつあり、その存在は益々セレネスの考えの中で大きな位置を占めるようになっていた。彼女がいれば、属州の再建の骨子は単純にして良いかも知れない。ある1個の大きな目標を示せばそれまでの道筋は自分で創造できるだろう。
彼女の存在で、属州統治の負担が軽くなる目処がつき、戦争においての見通しも明るくなって、彼の目は半年後に早くも向き始めていた。
 総督を辞して、後に待つのは後継者としての確立である。  王位を裏付ける権威、権力と称号は9つあった。執政官命令権、前執政官命令権、護民官特権、最高神祇官、カエサル、最高司令官、第一の市民、国父、尊厳者。
 この中で権力を伴うものは前半の3つだった。恐らく執政官の就任と共に全て付与されるはずで、護民官特権を付与されることが最も有力な後継者の証だ。というのも護民官特権には拒否権――全ての事案に対する――が含まれており、それを保持すれば何人も保有者の意志を防ぐ手立てを失う。それが与えられるということは同時に国王と権限においては並ぶということだ。
 共同統治者に指名されれば、後継問題は終わるはずだが、そう都合よくいくか不安は大きく内在していた。
 セレネスの帰還まで競争者のいなかった弟であるヘリオスは後継者たる全ての要因を既に満たしている。キャリアも若輩で通り抜けたことを除けば完璧で、それも老王が老齢だったということが特異性を薄めている。人格も慎み深く、調和を尊ぶ性格は市民の受けも悪くない。何より元老院との仲が良好だ。
 反対にセレネスはというと、キャリアは特例で埋め尽くされているし、性格も協調性のある方ではない。クラウディウスらとやりあったのもあり元老院とは不和であり改善の見込みは今の所ない。
 王は建前上、元老院と市民の承認で選出される。市民の力はもはや昔日の感だが、元老院はまだ政治能力を必要とする場として存続していて、王の擁立はその最たるものだった。コルネリウスが不在の中、元老院の意見をセレネスで押し切れるかは今のままでは危うい状況である。尤も、それは仮に今この時に老王が崩御したとしての話だ。執政官に就けば、内政も外征も主導できる。その中で能力を見せていけば、穏健派の大多数を味方につける事はできるだろう。クラウディウスとの不仲は後継問題が絡んでいるのは誰の目にも明らかなのだから。
 ともかく、折角生み出した軍事的才能を示すチャンスを物にする事だ。次代のガラッシアに唯一欠けていると思われるもの。それに恵まれていると知らしめればずっと彼の存在価値をずっと増すことができる。
 反乱軍の根拠地に歩を進める軍は、旅程を半分ほど過ぎる中、何の妨害も受けていなかった。反対に態々族長などが出頭して忠誠を誓い、僅かながらだが糧秣の提供を約束する部族も現れるという具合で、もう少し、退役兵たちに味方する部族があるかと思ったが、人望はほとほとないらしい。それでもセレネスの完全無視を決め込んでいる部族もないわけではなかったが。
「寒いな」
 馬の背で揺られているアリスが濡れ鼠になっていた。それを気にする仕草も見せず彼女は1度天を仰いだ。曇は厚くどんよりと停滞していてちょっとの風邪では流れて行きそうにない。
 暦は2月で、南部属州といえど空気は冷たく、この雨が雪でなかったことを感謝せねばならないだろう。数日前からしとしとと降り続く雨の中、軍団は機械のように進軍していた。覇気は失いつつあったが、統制は取れたままだ。それだけでも良しとしなければ。訓練は急ピッチだったので、万全とは行かなかった。士気の減退は致し方ないだろう。ここでも退役兵たちの思惑に嵌っているのだろう。
しかし、総司令官も同じ状況で進軍していたので、その減退は最小限に食い止められていた。その一方で、逸る味方を抑える、というような熱意溢れる状況でもないのも確かだった。天運はどうしようもないことだと受け入れるしかなかった。何が幸いで、何が足を引っ張るかは誰にも分からない。
 進軍を続けている内にも定期的に偵察兵からの報告が届けられていた。その分セレンの周りだけはいつも人が動いていて、多少の慰めになった。彼は慎重で偵察を疎かにすることなく情報収集に努めていた。今の所は異常はないが、相手の根拠地に数キロのところ迫った場所に森が広がっている。その真ん中を石畳の軍道がなるたけ直線に割っていた。その森は見通しが暗く道の直ぐ側まで木が迫っているので伏兵を置くには丁度良い地理だ。
 彼は反乱軍が兵を伏せている可能性は低くはない、と推察していた。奇襲で損害を与えることは理に適っていることで、セレネスの力も彼らに取っては未知数であり、見す見す損害を与えるチャンスを見逃してくるとは思えなかった。その想定を頭に入れながら偵察兵を出し、帰還を待っていると案の定、森の中に人間のいる痕跡を発見したとの報告があった。
「アリー、クラッシアヌス」
 騎上から彼が呼ぶと、影から現れるように2人が姿を見せ、命令を待った。
「軍を三つに分ける。アリー、君は後方を指揮し、本軍より500メートルは離れて進め。鬨の声が聞こえたらタイミングを見計らって攻めるように」
 アリスは無言で頭を下げた。
「残りの二つの間に荷獣の列を置く。警護している、と敵が判断してくれると思いたいが。此方が敵方の思惑を知ったと気付かれても不都合はない。戦闘になった場合、クラッシアヌス、君は前方の指揮を。後方は私が執る」
セレンは前方に振り分けた軍の直ぐ後をクラッシアヌスの隣で行軍した。悠然と構え、いかにも警戒を解いているように振舞ったが、どうせ偵察を馬鹿みたいに出しているとは敵も気付いているだろう。
いよいよ、森に差し掛かり、中に入っていく。森は深く雨天の所為もあって夜のようだった。不気味に息づいているのが肌を通して伝わってくる。兵たちも見えない何かに怯え、その場の音は雨が木々の葉を打つ音と、兵士の鎧を打つ音、歩く度に擦れる金属の音だけだった。
歩き続けても、一向に何が起きる気配はなかった。緊張がただ辺りを包んでいるだけだ。そうして、先頭が出口を確認し、兵たちの緊張が弛んだ所で、後ろの方で喊声が上がり、敵が躍り出て来て、後列に襲い掛かった。一気に場は騒然とし味方は混乱に包まれる。
 セレネスは、クラッシアヌスに指示を出してから素早く馬を返し、後方に急行した。混乱の端緒に司令官を見つけられた味方は幸いだった。彼は鋭く味方を励まし、剣を抜いた。鮮やかに登場した司令官に敵も反応したのだ。向かってくる敵に馬上から剣を振り下ろし、一撃目は剣で防がれたがその返す刀で首筋を抉った。勢い良く噴出した返り血はセレンを濡らし、鉄の匂いが辺りに充満した。
 セレンは感情が高ぶるのを感じていた。胸が熱く、底から突き抜けてくるような衝動がある。しかしそれとは反対に頭は急激に冴え渡ってくるような錯覚を味わった。目の前の状況を足がかりに全体の趨勢まで想像することができたような。
 混乱は収束していななかった。百人隊長たちが、慣れない実戦の中でも己の職責に忠実であろうとしているのは分かったがこのままでは能力を示す前に押し潰されて終わってしまうだろう。軍旗の元に集結し、個々の判断で反撃を加えている中では限界があった。
 本来であればこれでチェックメイトのはずだったが、セレネスはこの状況は予期していた。奇襲など知っておけば対応は容易いものだ。
 味方の反撃の圧力が弱く、勝利に確信を持ったのか敵が後退の道を捨て本格的な攻勢を掛けようとした丁度その時、アリスの部隊が突っ込んで来た。苛烈な攻撃だったのか轟く喊声と敵の悲鳴が大地を揺らした。
 完璧なタイミングだ。敵が後退の選択肢を捨てた正にその瞬間を狙いすました攻撃で、軍の後ろを蹂躙し勢いに乗っていた敵の意気を完全に砕く一撃だった。戦局が一変し、勝敗を完全に逆転させるまでの時間はそう長くは掛からなかった。
 予期しない方角からの攻撃に絶望的な状況に追い込まれ、気が狂わんばかりの敵兵をアリス指揮の統一された軍が蹂躙する。敵の指揮官は諦めの早い人物だった。無論、挟撃されたのだから最早逃げ道もないのだが、無駄な足掻きをせず降伏の意思を示し、セレネスはそれを受け入れた。
降兵は1000強と言ったところだった。戦死者は両方少ない。戦闘時間が一時間無いくらいの速戦だったからで、アリスの部隊の存在が大きかった。ところで、彼は降兵には帰郷を許し、指揮官にも行動の自由を与えた。
「随分と寛大な処置だな」
 徴兵か何かで引っ張られてきていた哀れな一般兵たちが安堵した表情で去って行った後に、アリスがセレンのところまで来て、その行動の意図を探るように質問してきた。
「何、敵とは言ってもいずれ我々の統治下に入る者たちだ。生かしておいても害にはならないし殺してもこれという益もないからね」
 セレネスはそれに簡単に答えた。
「そうかも知れないが、指揮官まで行動の自由を与えるのは」
「彼をどうこうしたとして、戦局は変わらない。あの程度の指揮官ならどこにでもいる。殺した所で意味はないよ。殺すべき人間は最初から決まっている」
 あまり納得した様子ではなかったが、少なくともセレンの考えは理解したようでそれ以上はなにも言わなかった。
 そういった雑務で数時間を空費する羽目になったが、その日の目的地に日中の内に到着することは叶い、森を抜け開けた丘陵に野営地を建設した。敵の根拠地がもうすでに見える箇所だ。反乱軍が選んだ根拠地は背後が急峻な山が半円に囲んで守護している堅牢な街だが、それだけの防衛に向く街ならば属州内に他にもいくつか残っていた。彼らがここを選んだ理由は、果たしてその地理的要因だけなのか、それともまだ他に要因があるのだろうか。<この選択だけは彼の想定を超えていたのだ。
 野営地の建設には1時間程度を掛けるだけで本格的なものとして完成した。ガラッシア兵の工学能力は非常に高く、お荷物であった第8軍団もその例外ではなかった。
 その様を監察し、全ての工程を終えるのを確認した後に、軍団兵に食事の許可を出してから、やっと彼も司令官幕舎に引っ込むことができた。
 そして、面倒なことだったが、幕僚を招いての夕食会を開かねばならない。供されるものは糧食となんら変わりはなく、あるのは重苦しい作法だけだが、慣例上是非もないことだ。
 若い軍団副官は司令官の愛顧を求め、司令官は自己の勢力の生成に務める。意志の疎通を確認することも大事な意義であった。
 小麦粉を練ったものが入ったスープとワインだけの簡素な夕食会が催された。セレネスは会食中、副官たちの関係性に目をやっていた。誰が誰と仲が良いのか、悪いのか。目に付くのはやはりアリスだった。彼女は孤立気味で基本的に寡黙に食し、となりの同僚が話し掛けるとそれに反応するといった具合だった。これが1番の彼女の欠点だろう。その能力がありながら傭兵団が簡単に彼女を手放すことに繋がった理由。他者とのコミュニケーション能力の欠如はエテルノに通じるものを感じた。
 何かしらの潤滑油の役割を果たす人間を側に付けなればならないかも知れない。早急に、とは言わないまでも、決定的な亀裂を生む前には解決せねばならない問題だろう。彼女の性向を変えるように努めるというのも一つの選択肢だが、人間、そうそう変わるものでもない。特にこういった類のものはだ。
 その問題は一先ず置いておき、彼は他の士官にも目を移した。第8軍団ではアリスが飛び抜けていて直下にホルタス、それにやや現状では劣る副官が2、3名続いていた。
 アリス以外の副官の仲は見たところ悪くはなかった。二十歳前後特有の陽気さと気楽さで軍団内を明るくさえしている。また、彼らのお陰で寂しい夕食会が宴会騒ぎにもなった。総督が彼らより若く、騒ぎ好きだったのが影響したのだろう。他愛もない話を肴に、彼らは一時を過ごした。司令官と副官の距離を縮めるには一定の効果を果たし、その意義は達成されたと言ってよかった。 しかし、宴もたけなわの頃、その朗らかな雰囲気の中に、突然冷や水が浴びせられた。
 2人の衛兵に抱えられて、この地の兵と思しき人間が幕の中かつぎ込まれたのだ。
「何事だ」
 セレネスが司令官に戻るのは早かった。ゴブレットをゆっくりとした動作でテーブルに置くと、立ち上がって衛兵に近づく。その途中で抱え込まれた人物の肩や背中に矢が突き立っているのが見えた。
 真ん中の人物が力を振り絞って総督に訴えようとするので、彼は膝を折らざるを得なかった。
「反乱です。反乱が起きました。――わ、我が部族は抵抗しましたが、今はどうなっているか分かりません。総督、私どもは貴方に忠誠を」
 それだけ言うのが精一杯で言葉を終える前に力尽き、気を失って首をがくりと垂らした。
 セレネスの状況の把握は早かった。反乱を起こしたのは州都とこの地を結ぶ地方の内のどれかだろう。こちらにも使者を送らせたということはそういうことだ。
 檄文も些かの役に立つではないか。しかし、これが本当に反乱軍の狙っていたことなのか。
 彼らの作戦はセレネスの任期が切れることを待つことなのだろうか。まさか、経験のない若造の総督をそこまで王孫だからといって怖れるのか。
 宴会の席は、一気に緊迫したものに取って代わられ、副官たちは酔っ払った顔から血の気を引かせ、ただ無言でその場に突っ立っていた。
「彼の治療を」
 そう衛兵に伝え、立ち上がって副官たちの方を振り返ると、彼らの視線にぶつかった。そこには既に不信の影が忍び寄っていた。


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