46.

「出撃準備が整いました」
 野営長官クラッシアヌスが報告に天幕に赴くと、煌びやかな軍装に包まれた総督は、1度、重々しく頷いて了承を示した。
 見れば見るほど、不思議な感覚がする。顔は若い。少年から抜け出して間もない青年だったが、眼光には言い知れぬ威圧感があり、10数名の主席百人隊長が居る天幕を支配する張り詰めた空気の源であった。年齢をして倍もあるベテランたちに囲まれてもセレネスは彼らを圧倒し通している。ベテランたちに本物の歴戦の士がいないことも影響しているかもしれなかったが。平和な時代、生き残っていくのは政治的に長じているものが多い。
 それでも、この若者の軍事面の手腕は中々見事なものだった。戦略と言う大きな枠組みは叩き上げのクラッシアヌスの頭脳を越えたところにあったが、もっと小さな視点の第8軍団に関しては彼より優れた人間はいない。その目から見ても、総督の軍団統御はこれまで見てきた総督たちと比べると段違いだった。
 軍団の窮状を救う為に金を惜しまず、只でさえ属州を再建するために総督は金を掛けているのに、それで軍団に対する愛顧が減ったわけでもない。元首の財産をつぎ込んでいるのであろうが、その判断能力も高かった。逡巡を知らず、決めたことを結果が出る前に翻したりすることはなかった。
 その行動理念の所為か、軍団も属州も1個の芯を得て、急速に纏まりつつあった。結合の邪魔をする最後の砦が退役兵たちであり、それを今、打ち滅ぼそうとしている。
 しかし、戦争はどう転ぶか分からぬあやふやなものでもあった。現状が悪い方向に進みつつある、ということは漠然と軍全体が感じていた。
 それの善後策を協議する為に開いた幕僚会議もクラッシアヌスは思い起こした。そこでも彼は即断の人だった。明確なプランに百人隊長たちは頷くことしかできなかった。セレネスの他に誰も戦略を練られる人材などいないと思われたが、彼の右腕である財務官のアリスが彼に意見した。彼女もまた天稟に恵まれた人で属州再建の核として存在の大きい人物だったが、軍事面でも才能を示すようだった。若い二人の議論をその他の副官、百人隊長はただ聞いていただけだったが、無駄なものを削ぎ落として行く明敏な作業だったと、クラッシアヌスは感じていた。
 その中で決まった事が今日の攻撃だ。
 回想をしながら眩しい気持ちで総督を眺めていたら、当の総督が口を開いた。
「今日、街を落とせば、状況は再び私の手に帰ってくる。ここが踏ん張りどころだ。倒れかけの運命の女神を支えるんだ」
 攻城戦に総督が自ら出るのは初めてのことだった。それまでは財務官のアリスが常に指揮を執っていた。今回彼女は自らの発案で街の後方に位置する山から奇襲することになっている。
 アリスの指揮も見事ではあったが、総督がどういう指揮を執るか興味が尽きなかった。行軍中の奇襲に対する指揮は悪くはなかったが、それで全体を知ることはできない。果たして期待に沿うような人物であろうか。
 だが、実際の能力とは関係なく最高司令官が指揮を執ることで士気は俄然上がるはずだ。働きを見てもらえれば褒賞に繋がる。  それだけの信頼がセレネスにはあった。
「では、行こう」
 百人隊長たちが頭を下げ、続々と天幕から出て行った。


 この山に砦があれば、今の手持ちで攻め落とすことは不可能だったろうとアリスは松明で照らされた反乱軍の根拠地を見下ろしながら思った。
 地平線に目を移すと空が暁に染まり、数刻後の日の出を示唆している。草木は眠り鳥も鳴かぬ一日の始まりに彼女は人殺しの準備をすっかり終えてしまっていることは妙な対比に感じられたがそれをはっきりと思い描くことはできずあやふやなまま胸の奥底に沈んでいった。
 彼女は、後ろに控える1個大隊に目をやった。刺すような寒さの中、出番を今か今かと待っている。赤い盾は日を浴びれば山中の中でどう映るだろうと思った。それよりも先に甲冑の照り返しがあるかとも。
 街を腕に抱いて守護していると思われた山は意外な裏切り者だった。街に安心を与える一方で、攻囲する敵にも道を与える。つれない何かのようで、そういうものには力が有用だ。もし砦があれば、背信は防げただろう。昔、ここに拠った人類は確かにそれを知覚し砦を築いていたようだ。山中をさ迷った間、その遺跡を見る事が出来た。恐らく、この地に平和が訪れた為に、維持する必要がなくなって放棄したのだろうが、必要な常識まで悠久の時が押し流してくれたのは非常な幸運だった。
 アリスは完全に山を支配下に置いた。裏手から登り、街のある方へと進み、適当と思った場所に平地を作った。偵察に出した兵士に要望していた土地は見つからなかったが、整備することが可能な場所は見つけられ、早速命令を下したのだ。
 彼女の思い通りに事を進める一方で、反乱軍の動向も一々チェックした。高い城壁も山には意味を成さず眼前からの情景で行動は手に取るように分かった。
 それを基にして、攻勢を掛ける日をセレンと相談して決めた。あまり時間はなかったが、その中で最良を選択したつもりだ。
 反乱軍が国境の外の民族まで巻き込むことは流石に想定していなかった。勿論、この属州で長年権勢を誇ったのだから繋がりがあってもおかしくはないが、部族を挙げて支援に移住しに訪れるほど強力な繋がりがあるとはいくらセレンが先を見る力に秀でているとは言え予測できる範囲を超えている。しかも事はそう単純でもないようだ。
 これだけで大事に違いはなかったが、アリスはその背景に少し引っかかりを覚えた。反乱軍の要請はきっかけに過ぎない。アラマニ族は他の部族に圧迫されていたという。つまり更に遠くではもっと情勢が動いているということだ。もしかするとその更に遠方も。
この戦争が終わっても南部が平和を享受できる時間は短いかも知れない。老帝国には新しい皇帝が登り、老王が死に行く中で、世界はもっと大きく動こうとしている。世界は閉じられていないのだとアリスは痛切に感じた。ガラッシアは世界の中心。ここが揺れ始めると全てが本格的なものになっていく。
 しかし、今は現状の方に目を向けるべきだった。セレンは苦境に立たされようとしている。アラマニ族は4万という。いくらか誇大だとしても万余は超えている。このまま根拠地を落とせずに迎えることになれば、見通しは確実に暗くなる。セレンは根拠地の攻囲も進めつつ、自身で少数を率い、アラマニ族と相対することも考えているらしいが、それも大きな綱渡りだった。
 故に、残された僅かな時間で根拠地を落とす必要があった。根拠地さえ落とせば、兵力も大半が自由になるし、相手は核を失うことになる。ホルタスが未だ鎮められていない反乱も一気に勢いが無くなっていくだろう。
 その状況でアラマニ族を討つのは難しいことではないはずだった。
そう思うとアリスはこの情勢に責任を感じざるを得なかった。もっと早く根拠地を落としておればこんな難しいことにはならなかった。もっと早く山に着目していれば。
済んだことはどうしようも無かったが屈辱として彼女の中に残る。セレンを苦境に追い込んだのは自分だ。彼が自らの手で攻城を指揮していたらこんな状況にはなっていなかっただろう。
 お互いに慢心があったのだろうか。実戦であることを忘れていたのか。セレンの隣は何をするにしても安心できたし、責任を感じる必要もなかった。それに甘えていた節もあったかも知れない。
 決して晴れることのない混沌とした感情が渦を巻いていた。
「しかし、よく考えましたね。財務官殿」
 内向に過ぎで冷たい空気を震わせて話しかけてきた副官のマルクスに反応するのがやや遅れ、返答も可笑しくなった。
「何が?」
 彼は信じられないような目でアリスを見詰め、そして苦笑した。副官の同僚とはいい関係でもなかったが悪くもなかった。孤立して平気なほど傭兵団での失敗は薄れ易いものではない。
「この攻撃です。この山を取るということも。加えてこう簡単に手に入れることができたことも」
「ああ、運が良かった。それだけだ」
「女神に愛されているのでしょう」
 その言葉にアリスは少し笑みが零れた。
「いや、愛されてるのはセレン、総督の方だ」
「なるほど、それもわかることです。こと女神に関しては」
 マルクスにも苦笑が漏れる。彼の女性関係を知らぬ者などいなかった。
「しかし、この大掛かりな仕掛けは、貴女独自のものでしょう。発想が違うと私は驚嘆しましたよ」
 マルクスは後ろを振り返ってそれを見詰める。木々の覆いでよく見えないが確かに山に持ってくるには大きいかもしれない。
 しかし、独創性のある作戦ではない。この位置とガラッシアの工作能力を知っていれば考え付くのに障害はなにもなかった。ようやく得た千載一遇のチャンスだ。それを最大限に利用しようと誰でも思う。
 こんな考えが頭を巡ってマルクスの言葉に反応することに抵抗があって、話を変えた。
「ちゃんと指示は確認しているか」
「問題ありません」
「よろしい。そろそろ、本隊が動き出すな」
 アリスは遠く軍営地を眺めた。
 今度はセレンも出てくる。士気はかつてないほど上がるはずだ。総司令官というものはそういう存在でなければならない。加えて、攻撃は苛烈に最大効果を狙ったものになってくる。精度も高くなるだろう。
 じっと軍営のある方角を見詰めていると、暁が強くなる頃に微かに楽隊の音楽が風に運ばれてきた。行軍の音も聞こえてくる。  いよいよ始まった。
 眼下の街では、当番兵が慌てふためいて反乱軍の首領の元に報告を届けているに違いない。慌しい音が聞こえ、迎撃の準備に移る。
 その間に第8軍団は歩塁の内側に歩を進めていた。整列した軍団が行軍する姿は雄大だった。早朝の奇襲ということになる。効果は高いはずだ。反乱軍はこれで背後の山に意識を向けることはほぼないだろう。そして、気付いたときには既に手遅れになっている。
 セレネスは、定石通りに攻城器で戦闘の口火を切った。形の整えられた石が狙い済ましたかのように飛んで行く。幾つかが城壁に辺り鈍い音を立てて崩れ陥った。普請の行き届いていない所をセレンは重点的に狙っているようだ。
 それを眼前に押さえ、アリスは命令を下した。
「私たちも始めるぞ。軽装歩兵。攻撃を始めよ」
 態々、作らせた大掛かりな器械に付いていた軽装歩兵が慌しく動き出す。直ぐに準備は整って、2機の投石器が日の目を浴びた。中腹の辺りから石を投げ下ろし始める。威力は平地よりもずっと大きくなるし、目標を視認して狙えるので、只でさえ信頼性の高いガラッシアの投石器の狙いはより正確になる。これでできるだけ掻き乱してやろう。
「建物を狙えよ」
 担当の兵士に声を掛ける。兵士が頷き、投石を続けた。
 石が唸りを上げて虚空へ飛んで行く。無音の滞空を経て鈍い音を立てて地面を揺らした。狙わせた建物より左にかなりずれた。それでも予期しない方角から飛んできた石にセレンの攻撃に対応しようとしていた反乱軍にはかなりの衝撃を与えることができただろう。
 担当士官が、部下に鋭い声で命令して照準を微調整する為に投石器自体を動かし始めた。数分後に、二発目を射出する。再び、凄まじい風切り音を立てて石は飛んで行き、今度は許容誤差の範囲内に収まった。
「続けよ」
 言われなくても担当士官は続けたろうが、口を衝いて言葉が出ていた。興奮を隠し切ることは難しかった。ようやくこの街が手中に落ちようとしている。屈辱を幾らか拭い去ることができる。
 次々に投石が続けられた。その内の1個がもろに屋根から当たって轟音を立てて崩落した。
「よくやった」
 大隊からも喊声が上がった。前哨としては上々だ。混乱も大きく気持ちを挫く一因にもなり得るだろう。
 機を見ることは大事だった。
「行くぞ」
 即座に、馬に跨り、大隊に命令を下す。
「マルクス」
 1度副官に呼びかけ、最後の確認を行った。アリスは騎兵隊を率いる。マルクスは重装歩兵の本隊を任せた。先頭を彼女が走ることにマルクスは懸念を表したが、アリスは突っぱねた。騎兵隊の指揮に関しては彼女より長じるものがいなかったし、何より先頭で駆け抜けたかった。勝利への渇望は当然ある。今まで鬱積したものを拭い去るには自らの手で行いたかった。
「私に従え。勝利は私と共にある」
 先頭で駆け下りた。数百騎の逆落としの迫力は相手を怯ませるのに十分な効果を発揮した。その後ろには朝日に剣を照り返す正規軍の重装歩兵が控えている。
 騎兵隊で風のように切り裂いた。
 拠点の確保はマルクス率いる大隊に任せ、アリスは自ら騎兵隊を率いて、城門を占領する為に急いだ。
 風の方に襲って、開門させる。
 時間との勝負だった。騎兵隊が単独で敵の本拠を行動するから、突破に時間を掛ければ囲まれて、身動きが取れなくなり殺される。一息に駆け抜け、門の周りの連中を蹴散らし、味方を引き入れなければならない。
「些末事に目をくれるな。門を目指せ」
 止まってしまっては終わりだ。
 そう思いながらも駆けている時は爽快だった。心が躍った。感情に支配されないように律するのが苦しいほどだった。攻城はやはり自分には合わない。ストレスは思いの他大きかったようだ。
 先ほどの投石の効果か、収集不可能なほどの混乱を来たしている街は騎兵隊を妨げるものは何もなかった。気の強い兵が遠くから威力の弱い矢を射掛けてくる程度だ。
 街を真っ二つに切り裂いて、アリスの隊は城門を認められる場所まで進んでいた。そこでは破壊槌が一定の間隔で門を揺らしていた。地面を震わせるような音だ。敵はそれに対応して数十人の男を張り付かせて対抗し、その後ろに、重装歩兵を300人余り集めている。
 セレンを迎え撃とうとしていた指揮官が、今か今かと、セレンに備え、歩き回っている最中に、アリスの登場に気付いた。驚愕に目を見開いている。咄嗟に指揮下の兵に混乱に任せて、反転させようと命令を下すのを捉えた。
「愚かな」
 もはや、間に合わない。混乱を更に助長させるだけだ。
「弓を持て」
 即座に命令を下す。逡巡する暇などなかった。アリスは指揮する騎兵隊を弓騎兵隊に仕立て上げていた。野戦で威力を発揮させる前に効果を見ておこう。
 1度、斉射させ、編成の変更をしている中に更に混乱を生んでから、剣を抜き放って突っ込んだ。
 目の前に現れた反転した瞬間の敵兵に剣を突き刺す。丁度、盾と兜の間の首筋に突き立って、引き抜くと動脈に触れていたのか、勢いよく血が噴出した。
 血の噎せ返るような匂いと、砂埃が舞っている。辺りは瞬く間に白兵戦が展開された。向かってくる相手を馬上から切り下ろし、未だ、反転仕切れていない層に進んでいく。敵の統制は完全に失われ、本来前列であった所の兵士は恐怖に義務を放棄し始めていた。
 そうなると軍は弱い。士官の命令が届かず脱走が容認されれば逃げを選ぶものだ。
 戦闘は直ぐに終わった。
 追い縋って殺しまくることはしなかった。今はその必要はない。
 目を門に移すと、破壊槌と対抗していた男たちも蜘蛛の子を散らすように消えていて、打ち破ろうとする音だけが響く。
 それから数度の攻撃で、アリスたちが門を開く事無く、破壊槌が門を完全に破壊し、軍団兵が流れ込んできた。
 彼らはアリスの姿を見ると驚いて、持っていたエネルギーをどこに当てるか目標を失ったように間抜けな顔を一様にした。
「遅かったな。門は私が頂いたぞ」
 その隊の百人隊長だろう、30くらいの男が進み出た。顔には活躍の場を奪われた苦渋が滲んでいたがそれを表に出す馬鹿者ではなかった。
「では、私たちは、制圧に映ります」
 アリスが頷くと、隊長は号令を発し、隊の規律を取り戻してから、騎兵隊の横を過ぎて行く。
「騎兵隊も支援しろ。馬からは下りろよ」
 担当士官に命令を出し、数人の護衛を残して騎兵隊は戦場へと戻って行った。アリスは一息吐いて街の方に目を移す。戦闘は続いているが、殆ど下火だ。
 これからは略奪と哀れな女の運命が現出される。
 戦闘が終わると高揚していた気分はあっという間に霧散し、漸く自分のものとしたのに気持ちはそれを思うと完全には晴れなかった。勝利者の当然の権利をおぞましいと思う自分の心が偽善に過ぎないのだとも分かっていてそれも嫌だった。
 もの思いに耽っているとセレンが随伴を連れて漸く騎乗で入城した。門の前にアリスは居たので、直ぐに彼と遭遇した。
 彼は赤い大マントを翻す司令官の軍装に身を包み、流石老王の孫を思わせる風格があった。
「よくやった」
 アリスに馬を寄せ、セレンはそう言った。
「今からは略奪か」
 平坦なアリスの声にセレンは少々驚いたような顔を見せ、それから小さく肩を竦めた。
「戦利品を兵士たちに与えねば、あいつらは働かんよ」
「捕虜はどうするの」
 セレンは目を市中にやって微かに口元を吊り上げた。
「それは商売だから。従軍商人もいるのだからね」
「そう」
 浮かない顔を見せたのか、セレンはアリスを宥めるように笑みを向けた。
「戦功1番が浮かない顔をしていては、女神も甲斐がないと言って横を向いてしまうよ」
 アリスが黙り込むと、セレンは続けた。
「しかし、これで懸案は払拭された。陛下から命令権を前執政官格に昇格する旨も伝えられたし、万全を期すことができる。今度は野戦だ。君の働き場所は大きい」
「勿論、私の騎兵隊は最強だからな」
 珍しく気に掛けてくれたセレンに、アリスは態と不敵な言葉を吐いた。


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