47.

 ガラッシア首都シオンは平穏そのものだった。人の流通は相変わらず膨大で喧騒もいつもと変わらない。大きな戦争を乗り越えたことも、北部の復興が始まったばかりなのも感じさせない力強い雰囲気があった。老王の治世の賜物だろう。30数年の再興策でガラッシアは好転し始めていたのだ。それを引き継げる次の元首は幸運と言える。国難の時ではあるが、底力のある時でもあるのだ。次の元首如何によってガラッシアは再び強国の一端になるか、過去の帝国の遺産のままであることが決まることになる。
 そういう、雲の上の出来事だったことが最近は日常になってしまっていた。去年まで、喧騒の最中で生活していた。貧しく慎ましやかに、その時だけを生きてきたのに、今は数年先のことまで考えられる。喧騒からも解放され、市場が1番煩い時間帯でも、それが聞こえてくることもない。
 それは嬉しい事でもあり、寂しい事でもあった。
 ロザリアは庭先に一輪だけ他よりこらえ性の無かった花を見遣った。みんなより先んじたくて目立つように咲いている花は誇らしげに風に揺れていたが、笑いも誘う。そんなものに目を遣る余裕も生まれてきた。着る物も、色染めされた肌触りのいい、とても一生縁があるとは思っていなかったものだ。日常的に着るようになって、最近ではそれを不思議に思わなくなっていた。奴隷を従えた生活を当然として受け入れつつあることを時々、我に帰って傲慢さにびっくりする。
 一体、自分はどうなっていくのだろうとの不安はあった。安定した生活のお陰で生きることに青息吐息ではなくなった。姉が戦場や政治の場に出ることに対する新たな心配も生まれてはいるが、自分の将来を考える中で一体、何を選択して行くのかさっぱり検討が付かずに困惑してしまう。誰かの妻になるのか。しかし、一体誰の? 貧民の家柄の女を欲しいと思う家があるだろうか。
 このまま、姉の庇護の下でずっと生きていく、というのは抵抗があった。姉の後ろに守られているだけの人生なんてとても生きたとは言えないだろう。自分で何かをしたい。生きたという証が欲しい。経済的な余裕が生まれるとそんな色気が内に育つのを無視するのは難しかった。周りを見渡してみると、実に多くの選択肢があるのに気付かないわけにはいかず、それも全部が姉のお陰なのだと、感謝の思いに果てはないのだが、せっかく用意してくれたものは十全に活用しようという思いもでてくる。
 自分の才幹で身を立てるというのは、ひどく魅力的な選択肢だった。姉のように生きてみたいと思う自分が消せないほど濃くなっている。それほどにロザリアにとって姉の影響は大きかった。とても姉の才能と自分のそれを比較することはできないけれど、足掻いてみようとくらいは思う。どうせ、詰まらない人生の詰まらない命なのだから、好きなように使い果たしても、誰にも文句は言わせない。
「ロザリアくん、聞いていますか?」
 突然振ってきた声に、彼女は慌てて我に返った。
 テーブルの向かい側に立っている30ばかりの切れ者そうな鋭い瞳がロザリアに注がれている。
「貴女の批評を伺いましょう」
 すっかり自分の世界に入り込んでいたが、今は授業の時間で、兄と席を並べて目の前の家庭教師から弁論の技術を吸収しているところだった。
 昼下がりで天気もよく、中庭を視界におくテラスで授業をしていれば、意識が別の方向に行ってしまうのも無理からぬことだと、内心で言い訳をする。大体、弁論はあまり好きではなかった。幾何学よりマシではあるが。ユーモアを交えたりしないといけないのがよく分からなかったし、大勢の前で自説を披露するなんて度胸が自分にあるとは思えなかったからだ。
 だが、家庭教師はそう思っていないのか、ロザリアに対して執拗に幾何学と弁論の授業を虐めのように組むのだった。兄が基本に触れる程度なのとは大違いで、差別的な量に不公平だと喚きたくなる。その所為で自由な時間は潰されるし、寝不足になるし肌は荒れるし、散々だ。今では自由な時間を一時間確保することすら難しい。なんといったって家庭教師もこの屋敷に住んでいるから、本当に出してくる課題に容赦がないのだ。
「どうしました、さあ早く」
 聞いていなかったことを分かっているくせに、意地悪く言う家庭教師になんとか見返してやろうとロザリアは、急ピッチで論理を頭の中で組み立てた。授業で使われている弁論は1度目を通したことがあったし、その中で自分の中から生まれてくる疑問と、明らかな長所を組み合わせれば、なんということはない。
「では――」ロザリアは持論を簡単に纏めて述べる。引っかかりも無かったし不明瞭にもならなかった。少々、自分でも画一的で平面な論だと思ったが、それ以上を求めるには時間が足りない。  ちらと、家庭教師の反応を覗っても、彼はどちらともとれない表情を変えなかった。
「結構。話を聞いていなかった割には的確でした」
 本当にそう思っているのか甚だ疑問だったが、それを問うことができるわけでもなかった。
 それでも、失敗を期待して出された問題を凌いだことに対する満足感は得られた。隣で聞いていた兄が、びっくり眼をしていたことも溜飲を下げることに役立った。
 大体、いつもがこんな感じだ。
 教えられるようになって半年近くになるが、進捗が速いのか遅いのか比較対象が兄しかいないのでよく分からない。だが兄よりは速かった。課題を出す量が兄に対するものの常時3倍くらいあれば嫌でも進みが速くなるというものだ。
 丁度、奴隷の1人が時刻を告げに触れ回る声が聞こえた。
 家庭教師が、今日は終わり、と示すように、本を纏め始めた。
「よろしい。では今日はここまで。ロザリア君は先に述べていたのに加えて『共和政の擁護』の批評もしておくように」
 思わず苦い顔を見せたのか、それに目に収めた家庭教師は意地悪そうに口端を吊り上げた。舌打ちでもしたい気分だったが、それよりも早く家庭教師が荷物を纏め終えて、席を立った。
 それを見送ってから、ロザリアは気分を変えるように、結んでいた髪を解き、その一連の動作で大きく伸びをした。髪に跡がついてないか、解すように軽く触ると少し跳ねているところを見つけて、瞬間的に気分が振り切れて、感情が口を衝いて出て来た。
 一通り、吐き出すと大分気持ちが落ち着いて、髪を撫で付ける手を再開させた。
「今日、お客さまが来るのに。アウルス、どう可笑しくない?」  テーブルの上を片している兄に聞くと、兄はロザリアを見詰め、それから間抜けに首を傾げた。
「いや、どこが可笑しいか分からないんだけど」
 その返答にロザリアは苦笑するのを堪えられなかった。
「聞いた私が馬鹿だった。でも、そんなんじゃ色々、だめだと思うよ」
 妹のありがたい忠告を兄は適当に聞き流して、午後の予定をロザリアに尋ねる。
「それより、今日来るのはコルネリウスのお嬢様か?」
「ええ、そう。連れが居るとは聞いているけど」
「じゃあ俺は外に出ているから。適当にやってくれ」
「会っておかないの? 姉さんの近況を知らせてくれるかも知れないよ」
「お前に聞けば足る。それにセレネス様からの手紙がお前には来てるんだろ」
 どうしても理由を付けて席を外したがっている兄の気持ちにロザリアは気付いた。
「苦手意識を持っても仕方がないと思うけど」
「馬鹿言え。相手は正真正銘のお嬢様なんだ。あの御仁に簡単に会えるようなお前みたいな心臓を俺は持っていないんだ」
 ロザリアは兄が心底、恐ろしがっている女性の姿を思い浮かべてみた。漸く掘り出せるようになった彫刻家が作った容姿だけは完璧な空っぽな作品。それが服を着ている。絶世の美女と呼ばれながら彼女に男が寄り付かないのは、そのなんとも言えない不気味さとそれを助長させる冷酷なブルーの瞳の所為だ。
 なまじ欠点がないだけに、人間味の乏しさが異様なほど目立っていると言われればそうかもしれない。
「でも、これから付き合っていかないといけないことには変わりないのだし、避けてたって後で分かった時の方がずっと怖いと思うよ」
 心底嫌そうな顔を兄がしたものだから、ロザリアは苦笑するしかなかった。
 結局、兄は身体の鍛錬に体育場に向かい、ロザリアは兄が残した道具の後始末とエテルノの応対の最終確認を奴隷たちのトップであるテオドラと行ったりして時間を過ごした。エテルノは曲がりなりにも名門で権勢振るう家柄の人間なので、テオドラは彼女が来るたびにいつもピリピリしている。セレネスとは家族のように気安いのに、やはり自らの責任で名門の令嬢をもてなすということは精神を使うものらしい。
「今日は少々トラブルがあって仕入れが遅れていつものが手に入りません。代わりはあるのですが質があまりよくなくて」
 晩餐の手配に関して、テオドラは懸念があるようで神経質そうにロザリアに意見を求めてくる
「あの方は特に食にこだわりのある方ではなかったはずですよ?」
「ええ、それは存じておりますが、それでもセレネスの体面に関わりますから」
「では、メニューを変更しては?」
「と、思いまして、ご相談申し上げているのです」
 テオドラは最終的な判断をロザリアに被せて責任逃れを図っているらしい。多少の身分差が彼女をしてそんな考えを浮かばせるのだろう。本来なら、全く身分差がないような関係だろうに。
「私は、その必要はないと思います。身内の食事にそこまで気を使うことはないでしょう。エテルノ様も本意ではないと思います」
 少しだけ、不服そうな色を見せたが、責任を被せられると思ったのか、それとも理性では大騒ぎする程ではないと気付いていたのか彼女は何も言わなかった。
 正午を過ぎた頃に、触れ役の大きな声が聞こえてきた。玄関に赴くと幕を張った輿が降ろされて、中から2人の女性が姿を現した。エテルノは普段着でそう身に気を使っているようではなく、反対に彼女の連れは中々綺麗に決めてそれが当人に合う、すごく颯爽とした金髪の麗人だった。歳は25歳前後に見える。
 ロザリアは嬉しそうに振舞ってエテルノの手を取った。華奢で硝子細工のような肉つきの薄い手。官能的な感覚にやはり欠ける人だ。
「ようこそ、お越し下さいました」型どおりの挨拶を掛けると、エテルノは小さく笑みならが頷いた。僅かな反応だが、最大級の親愛の印だとロザリアは知っていた。ロザリアは後ろに控えていた金髪の女性に目を移す。それに気付いたエテルノが時機を計ったように半身を引いて、ロザリアと金髪の女性を引き合わせた。
「マリウス傭兵団総長のウィルヘルミーネ・フォン・ルクセンブルク様。アリスの直接の上司だった方です」ルクセンブルクと紹介された麗人は蠱惑的な微笑を浮かべる、「こちらは、ロザリア・アルトゥーラ。アリスの妹です」
「あの子も綺麗な妹さんを持って幸せね」
「ありがとうございます。お会いできて光栄です」
 金髪で名前はワレンシュタインのものだったが、随分と綺麗にこちらの言葉を喋る人だった。
 一通りの挨拶が済んで、ロザリアは彼女らを客間へと案内した。数時間前まで彼女が授業を受けていた部屋で、丁度品が一々高級のセレネスに相応しい客間だった。
 少し、中庭に面したところにテラスがあり、そこのテーブルに腰を下ろす。テオドラが現れて、適当な給仕をし、影のように背後に控えた。
「へぇ、流石に後継候補ともなると、立派な屋敷を構えているのね」
 ルクセンブルクは不躾にもきょろきょろと、屋敷を見回しながら感想を零した。明らかな無作法だったが、不思議と下品さはなかった。エテルノが、それを咎めるような視線を送っても、気にしていないか気付いていない。エテルノの意向を真っ向から無視できる人間であるということはよっぽどの人物なのだと推測できた。セレンと直接の関係がある人かも知れない。彼に関係するとエテルノの圧力は途端に弱くなるのだから。
「今は、貴女が主を?」
 急にルクセンブルクはロザリアに話を振ってやや彼女を困らせる。
「え、いえ、エテルノ様が。運営はテオドラがしています。私は客分に過ぎないので、とても」
 そう、と答えたルクセンブルクは今度はエテルノに、水を向けた。
「貴女がしてるの?」エテルノは、ただ頷いただけだ。
「驚いた。昔はそんなことできそうになかったのに」
「貴女の今回の滞在の便宜を図ったのだって、わたくしですよ。多少は成長だってします」
「やっぱり余裕が出てくると違うのね」
「貴女はお変わりないようで」
 エテルノは微笑み、ルクセンブルクも返したが、微妙な雰囲気が漂った。それを霧散さえたのも、ルクセンブルクだった。気ままに別の話題を場に持ち込んで。
「お勉強中だったの?」
 その質問は、片付けそびれて部屋に残っていた本に目を留めたからなされたらしい。ロザリアが、はいと答えると、ルクセンブルクは懐かしいものを思い出したかのように目を細めた。
「そう。大変ね。若い時は苦痛に感じるものだけど、いずれ役に立つわよ。――そういえば、私はアリスにもセレンにも本を貸してたわ」
「そうでしたね。わたしくもそれでセレネスに色々と教わりました」
 2人して過去を懐かしんで、感傷に浸っているようだった。楽しい過去だったのだろうとロザリアは羨ましく思った。自分の過去はあまり嬉しい気持ちで振り返られるものではない。姉の不在はどうしても大きな比重を占めたし、母の死も痛ましいものだ。
 過去の話題で花を咲かせている2人を複雑な気持ちで眺め、ロザリアは自分も入れる方向に話題を変えようと、頭を巡らして無難であろうものを選び出した。
「マリウス傭兵団といえば、北部に駐留していたはずですよね。どうして、こちらに来られたのですか?」
 この質問は中々適当だったようで、ルクセンブルクは気軽に受け応える。
「お仕事でね。ちょっとこちらでやらないといけないことができたの。後、親ばかから娘への土産やら何やらを届けに」
 ルクセンブルクに思わせ振りに視線を振られてエテルノは微かに照れるように顔を伏せ、言い訳のように父親に対して小言を並べたが大した説得力はなかった。親子の仲が良いのは少し羨ましい。
「まぁ、でも貴女のお父上は素晴らしい方だった。人間的にもガラッシア人としてもね。北部は彼の元に立ち直ろうとしている」
 褒めちぎられてエテルノは耐え切れなくなったのか、ロザリアに話をするようにと視線を送り、それに気づいたロザリアは仕方がないので、再び頭を巡らせた。
「直接の姉の上司だったと、仰いましたよね?」
 ロザリアが尋ねるとルクセンブルクは典雅な仕草で頷いた。ロザリアは続けて質問を繰り出す。
「あの、失礼でなければ姉の話を聞かせて頂けませんか?」
「知りたい? セレンから聞いてはいないの?」
 秘密をチラつかせて悦に入っているような子供っぽい所をルクセンブルクは見せながら笑む。
「多少は聞いてはいますが、その、セレン様も知っているのがあまり範囲が広くないので」
 申し訳なさそうにロザリアが言うとルクセンブルクは優越感に刺戟されて気を良くしたのか姉好きの妹の要望に応え始めた。
「私が、彼女と会ったのも、余りセレンと変わらないけど、まぁ、内部の人間だったから、そこからの視点で話して上げましょう。人物評も多少彼とは変わるでしょうし。――アリスに関しては彼もちょっとだけ盲目だしね」
 エテルノも多少、興深げに視線を動かした。それを目に収め、ルクセンブルクは語り始める。
「アリスは幹部候補の1人として傭兵団に入ったの。でも、最初の方はあまりぱっとしなかったわね。数度戦闘に参加したけど、私と会う寸前の戦闘でちょっとだけ活躍したくらい。その活躍の代償に負傷して、丁度、戦場が私の運営している戦傷病院の近くだったから、療養に来て、それが出会いだったかな。印象としては暗そうな美人さん、ってとこで、あまりやる気もあるようには見えなかった」
 そこで、彼女は1度区切るように間を空けた。
「その頃、私はセレンと親しい関係で多少の融通を利かせられたの。アリスを彼に預けてみようと思ったのは、全くの偶然で、完全に勘だった。微かにアリスにセレンと通じるものを感じたのかも知れない。結果的にそれが大当たりだったんだけどね」
 うんうんと頷いて先を促す。それからは、セレンを通じて既に知っていたことが大多数を占めた。新たに知ったこといえば、セレンと再会するまでの1年の出来事で、姉が大病を患ったこととそれまでの仕事くらいだった。
「そう言えば、セレン様は姉を強奪した、と言っていましたよ? 冗談めかしてましたが」
 ロザリアがそう尋ねると、ルクセンブルクは肩を竦めた。
「そうね、久し振りに会っていきなり『アリスを財務官に立候補させることにしたから』と言われた時は流石に開いた口が塞がらなかったわ。彼女は次代の柱だったし、私自身も後任として期待してたから、大喧嘩になった。まぁ、私程度が楯突ける相手でもなかったけどね」
 ルクセンブルクは楽しそうに喋り、歓談は和やかに進んだ。エテルノも口を挟み、全く姦しい状態になってしまったが、親交を深めるという点でこれに勝るものはなかっただろう。セレンと姉を肴に雑談を、繰り広げていると自然と話題は関係についての事になっていった。
 最初にそれに踏み出したのは、確か、エテルノだった。ルクセンブルクが年長からの視点かそれに好き勝手に無責任な論評を加える。
「アリスの才能は高く評価しているけど、女性としてみているかは微妙ね。もっとも、彼があのルックスを放って置くわけはないと思うけど」
言ってロザリアの方に悪戯っぽく笑みかけた。
「貴女も気をつけなさい。彼は良識という言葉と限界というものを知らないわよ」
 どういう応えたものか、曖昧な仕草に終始している内に、ルクセンブルクは先を進めた。
「アリスがセレンにある種の憧れを抱いているのは間違いないわね。神話か伝説の誰かを重ねてるみたい」
 ロザリアが幼かった頃、姉がどこから仕入れてきたのか建国に関わる話や世界創造の話を好んで聞かせてくれたことを思い出した。あの頃は夢見がちの本当に可愛い女の子だった。
「異性として見ているわけではなくて?」
「そんな高度な感情を彼女が持っているかしら。縦しんば持っているとしてもそれは初恋でしょうね。初恋は実らないというわ。ねぇ?」
 意地悪そうにエテルノに問いかけるとエテルノはそれを黙殺した。それから少しだけ、不穏な空気が漂い始め、年上の女2人が互いに掣肘し合っている様をロザリアは呆然と眺めていた。
 流せばいいのに、エテルノはルクセンブルクのからかいに一々反応して彼女を楽しませる結果に終わっていた。
「もう、いいです。それでロザリア、今日来たのは、この人を紹介するものありましたが、セレネスから報告が元老院にあったので、それを知らせるためでもありました」
 一気に話が真面目な方に傾いたと思うと、エテルノもルクセンブルクも真剣な面持ちを見せる。先までの雑談の浮ついた感じやがすっかりと消え去ってしまい、適応するのに戸惑いを覚えた。  とりあえず、ロザリアは聞き役に徹して、エテルノが口を開くのを待った。
「反乱軍の本拠を囲んでいたのは以前お話しましたが動きがありました。報告が届いたのが一週間前。元老院は紛糾し、結論が出たのが今朝でした」
「良い内容ではなかったのですね?」
 エテルノは小さく頷いた。
「法務官級の指揮権では手に余る事態になり得るので、命令権の昇格を願う、というのが届いた手紙の内容でした」
「そのような苦境に陥ったのですか?」
 ロザリアは吃驚して大きな声を上げてしまい、2人に冷たい視線を浴びて気まずそうに居住まいを正した。
「詳しくは分かりませんが、どうもそのようです。国外の部族が反乱軍に呼応して国境を越え、セレネスの方に向かっているとか。万余を数えると言われています」
「つまり、後背を突かれようとしているわけですか? 攻囲している最中に?」
 ロザリアの確認にエテルノはそうでず、と頷いた。致命的な状況に違いない。ロザリアはエテルノがこんなに冷静なのに驚いた。彼女から感じるセレンに対する感情は異常な程だったので、彼の生命に関わるような事態でとても平静で居られるとは思えなかった。しかし、今日はこの話題が出るまで、ずっといつもと変わらないか、ともすればいつもより上機嫌だった。それだけの精神的な余裕が生まれているのか大人になったのか、それとも、セレンにこの程度ではぐらつかないだけの信頼を寄せているのだろうか。
「そういうことになるでしょう。どうするかは分かりません。とにかく、命令権の拡大を陛下に願い出ていて」
 法的な正当性を気にする辺りはまだ、余裕があるのかも知れない。それをエテルノも読み取ったのだろう。恐らく、この場では3人が3人ともそう思っているのか、雰囲気は重くはならなかった。どちらかというとどうセレンが切り抜けるのか、利用するのかに関心が向いている。無論、ロザリアもそうで、それを探る為に口を開いた。
「それで、陛下はなんと」
「元老院に諮られました。焦点は時限的な命令権の付与か、恒久的なそれかでしたが、結局陛下の強い希望と、ヘリオス様の賛同で恒久的な命令権の付与に相成りました」
 それはつまり、後継としての地位を一つ固めたことになる。永続的な前執政官格命令権は軍を常に保持していることを示すので、元首の大権の一つだ。
「怪我の功名かしら。でも、反乱を鎮圧できるの? 思ったように状況は進んでいないんでしょ? 成果を上げられず、半年の任期切れで帰ってきては、後継レースで拭いきれない打撃を被るんじゃない?」
「そうですね、鎮め切れなければそうなると思います」
 同意して、ロザリアは頭を巡らした。興味の先は軍事的な分野に向く。どうセレンが切り抜けるか、考えてみるのも一興だろう。
「セレン様が取り得る手段は四つあると思います」
 ロザリアが言うと、不思議そうに2人が首を傾げた。構わず、続ける。
「一つは、攻囲を解いて、異民族の方に全軍を向ける方法です。篭っている敵を誘えて、時を得ることができます。相手にとっては挟撃の機会をみすみす逃したりはしないでしょうから、会戦に持ち込めます。二つ目は、軍を二つに分け、攻囲はそのままに一隊を援軍の方に向かわせます。セレン様ご自身が別働隊を率いた方がよいでしょうが。この方法は政治力に自信があれば取り得る方法です。三つ目は攻囲を強攻して、まず頭を潰し、反転して援軍と相対する方法です。これはよっぽどの幸運と相手方の過失がなければ成功しないでしょうが、1番、効果は高いです。――後、攻囲もそのままに、援軍も放っておいて、二重攻囲戦を選択することもできますが、兵力と錬度の関係上、今回はそれを選択することはないと思います」
 言い終えても、二人の反応は全くなかった。おかしなことを言ったかと、後悔と恥ずかしさで顔が赤くなる寸前に、ぽつりとルクセンブルクが漸く口を開いた。
「それを今、考えたの?」
「え、はい。概論だけの机上の空論に過ぎませんが。もう少し、状況が分かればもっと現実味のあるものになるのですけどね」
 ロザリアがそう言うと、ルクセンブルクとエテルノは目を見合わせて、少し難しい顔をした。二言三言交わしたようだが、それはロザリアには届かなかった。
「もしかして、家庭教師はすごく厳しい?」
「ええ。どうして分かったんですか?」
 驚いて問い返すと、ルクセンブルクは言いようのない微妙な顔をした。慰めと妬みと羨望を混ぜ合わせたような表情で、ロザリアは息を飲んだ。心に触れたような気がしたのだ。
 ルクセンブルクが本性を曝け出したのはほんの一瞬で、直ぐに華やかな人が戻ってきた。しかし、言葉の裏の意味を勘繰らないことはできなかった。それだけ彼女の束の間の本性は印象的だった。
「あなたとは長く、良い関係でいたいものね。貴女と引き合わされた理由が分かった気がする」
「そうですか?」
と、気軽い声で返してみても、ルクセンブルクの反応が驚くほど小さかったので、ロザリアは吃驚した。
 それから、晩餐までの時間は微妙な空気が流れて最後までそれを解くことは叶わなかった。


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