三話

じとじとする空気。雨は上がれど、それは重い。
空は暗く、二度目の雨すら予感させる。
天気予報では晴れなんだけど。奴等を信用するのはちと軽率過ぎるか。それ以外に拠所がないのも難点だし。
ついと視線を上げると、紫陽花の花が咲いていた。
…この辺じゃなかっただろうか、今朝の騒動の現場って。
地面を見ること、小さな物を探すことに集中し過ぎて、周りを見る余裕もなかったのか、自分。校門なんて目と鼻の先じゃないか。落ちついて歩いても間に合う距離じゃないか。そもそも学校の外周から離れてすらいないって。
あの野郎。
故意犯だろうか。時計を見て俺が焦って必死になることまで推測した上での行動なんだろうか。いや違いあるまい。
悪い人じゃない、人としてモラルに欠けているほうじゃない、ただ悪戯が過ぎるだけなのだ。判ってはいる。でも、自分のそういった評価を逆手にとって、また相手を陥れてやろうとかそんなことまで考えるなんて、根っからのサディストであるからもうなんというか。嫌いになれれば平和なんだろうけど。
そもそも何で俺ばっかり虐めたがるのだろうか。誰に聞いても「お前が何かしたんだろ?」とかそんな返事が返ってくるだけだし。抜け目が無いというか。無いんだろうなあ。
ぼーっと紫陽花を眺めながら、今朝のことを思い出す。決してあの先輩を花と重ねているわけじゃない。流石に花に失礼だ。
「ゆうき?」
あじさいに話しかけられた。
………帰って寝ようか。疲れてるみたいだし。
「こっち、こっちだよゆうき」
がさがさと、生垣が揺れる。
ひょっこり顔を出したのは、なんだ、というかなんというか。
「アヤメ。元気だったんだ」
「なんで怖い顔してるの?」
「怖かったから」
不思議そうに首をかしげるアヤメを見ると、少し気が晴れたり、なんだり。
紫陽花さんの声が聞こえるとか、冗談にもなりやしない。
よいしょ、と声をだしながら首を引っこ抜き、生垣の上から顔を出す。なんでわざわざ葉っぱの間から首を出したのか。不思議でならない。
「そっか、今帰りなんだ」
「うん。…なにしてるの?」
そこそこ綺麗な顔のあっちこっちを汚して、軍手を付けた左手にはゴミ袋、右手にはスコップをもって。
とても、病人には見えない。まあ病人然とされても嬉しくはないんだけど。
「部活。言わなかった?」
「ああ、園芸部?」
「そだよ」
にこりと一つ微笑んで、右手の道具を誇らしげに掲げる。
「ちなみに、雑草駆除中」
「へぇ。…マメなんだ、園芸部って」
「花壇だけが守備範囲じゃないんだよ」
ごそごそと、そこにあったんだろう雑草を抜きながら、これまた誇らしげなアヤメ。
学校全体が守備範囲なんだろうか。とんでもない守備職人もいたもんだ。
「ゆうき、午後は暇?」
顔は見えないまま、声だけが聞こえる。大体言いたい事は判る。判るけど。
「何を手伝ってほしいのかな」
「今日は部員が少ないから、雑草駆除が大変で」
そもそも全部で何人居るのか怪しい部活だ。校内三大崖っぷち部にはランクインできそうな気もする。実際そんな噂もあった事だし。
「判った。待ってて」
流れには逆らうな、疲れるだけだと云うのが父の教えである。それがどんなに小さなものでも。
厄介なお父さんで、困ったものです。

「こんなもんでしょう」
「…どんなもんですか」
確か作業開始時、おぼろげではあれど太陽は、大体真上にあった筈。
学校の玄関横、街灯の明かりが少し眩しい。
時計が指すのは午後の六時。
「頑張りすぎじゃ?」
「いやいや、これ位しないと」
腰に手をやり、頷く仕草がやはり誇らしい。
やる事があるとこいつはこうもアクティブなのか。普段学校はサボりがちなのに。なんて奴だ。
「ありがとうね、ゆうき」
にぱと笑顔を作る彼女。
なんだか懐かしい。アヤメが活き活きとしてる光景。
昔は、それが普通だったのに。
「見返りは…期待しない方が良いか」
そうだね、と小さく呟く声。
次いで、肩に小さく衝撃が走る。


…す、と血の気の走る音が聞こえた気がする。



「アヤメ」
落ち着かないといけないんだ、そう思えば思うほど、焦りが強く加速する。
だいじょうぶ、そんな形に動く口元に、力が微塵も感じられない。
倒れこむアヤメを支えて、その場に座り込む。
忘れちゃいけない事なのに、こんな時は自分がしっかり気をつけないといけないのに。
乱れる呼気と、噴き出す冷汗と、歪む表情と。
何が苦しいのか、どう苦しいのか、何一つ、俺には分からない。
それがいつも、痛くて、辛くて、悔しくて。
友達に何もしてやれない自分が、惨めで。



「…ごめんね、ゆうき」
「平気?」
ぽんぽんと背中をたたく。
そうされると落ち着くんだそうだ。気持ちは判る。子供の頃親にしてもらった時の事を思い出せば。
よくあることではあるんだ。発作、みたいなものか。特に理由もなく、原因も判らないけど急に動悸がするとか、痛みが走るとか。
暫くすると、大分回復するらしい。それがまた逆に厄介で。
「んー」
ぐい、とアヤメが体を寄せてくる。
「こうしてれば落ち着くかな」
「…突き飛ばしていい?」
「えー」
どいつもこいつも、そんなに俺が嫌いか。
恥ずかしいだろうに。
「立花先輩、花壇の方終わりまし…た…よ?」
声。明らかにこちらに向けられている声。
…間が悪いというか、なんというか、あの。
「あ、まとちゃん」
「うあ」
「わ、わわわ」
「?」
慌てる見知らぬ人と、俺と。
どうにもこうにも、アヤメは若干ずれてるみたいで。



暗い路。
じっとりとした、重苦しい空気が三人を包む。
雨そのものが嫌いな俺にとって、こんな空気は苦手以外の何物でもない訳で。
「立花先輩、本当に大丈夫ですか?」
見知らぬ人…まとちゃんと言うそうだ。園芸部の一年生。唯一の新入部員。
取り敢えず真面目な子だと言う事は理解したけど。間の悪さにも定評がありそうな。
「うん、へーき。ありがとうね、まとちゃん」
「大丈夫そうじゃないから聞いてるんですよ」
むす、と拗ねた風なまとちゃん。…なんかやだな、この呼び方。
しかし何というか。
「むう、手厳しいなあまとちゃんは」
「立花先輩がいないと僕一人なんですから…大変なんですよ?学校一周」
「若いっていいねえ」
「殆ど同い年じゃないですかぁ」
「そうだっけ?」
…アヤメにも友達っているんだ。意外。
そうこう言ってる間に、アヤメの家の前。
一応女性を送るのは男として当たり前というかなんというか。せっかく一緒になったんだから。そんな気持ちもある。
「じゃ、また明日ね。まとちゃん」
「はい、先輩」
ぱたぱたとしおらしく手を振るまとちゃん。
何処となく、不釣り合いな感じ。行動とか、言動とか、良家のお嬢様みたいなのに。見た感じが凄くボーイッシュで。
「俺の存在は無視か」
「はいはい。またね、ゆーき」
「ん、また今度」


そして残される二人の他人。


…しまった。
どうすればいいんだろうか、こういう場合。
相手は女の子。しかも後輩。いかに直接の関係が薄いとはいえ、ここでさようなら、という訳にもいくまいし。
「あの」
「あ、はい」
声をかけられた。
「えっと…ゆうき先輩で、よかったですか?」
「うん、長友有紀」
「長友先輩、ですね。判りました」
そっか、と小さく頷いて、どこか嬉しそうな顔をするまとちゃん。
…ああもう。
「君は?」
「あ、わ、そうでしたね、ごめんなさい…っ」
バタバタと居住まいを正し、ふわりと一つ礼をする。
「結城真登っていいます」
「結城さん、ね。覚えとく」
…自分の名前と音が同じだからか、不思議と初対面な気がしない。
いや、そんなこと関係なしに、どこかで会ったような気がしなくもない。
前にアヤメといるところに遭った事でもあっただろうか。いや、学校ではそんなに頻繁に会う事がある訳で無いし。
何か引っかかるこの感じ。
何を忘れているのか。何を勘違いしているのか。
…勘違い。
「えと、長友先輩」
「ん?」
き、と軽く睨みつけるようにこっちを見てくる。
やっぱり何処かで何かしたのだろうか。自分。でも敵意みたいなものじゃなくて。
「んと、これ…」
おずおずと、小さな傘をこちらに差し出して。
「先日はありがとうございました…っ」
その傘は、何処か見覚えのあるもので。
…昨日の少年に渡した物で。
「お陰様で僕もるるも風邪をひかずに済みまして…何とお礼を言ったらいいか」
「ああ…あの子は元気?」
「はい!今度また連れてきます!」
嬉しそうに、結城さんが語る。
心が晴れそうな位、きれいな笑顔で。
少し、ではなく、凄く心が痛む。
普通間違えませんよね。男の子と女の子と。本当にごめんなさい。
「…なんか、ごめんね」
「何がですか?」
「気にしないで。こっちの話だから」
「ん…と。よく判りませんが…先輩が言うなら、そうさせてもらいますね」
首をかしげながら、一つ微笑む。
昨日の失態は、心の中に留めておくことにした。



…きっとそれがお互いのためだと、心に刻み込んで。


BACK / INDEX / NEXT

SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ