五話

「で、だ」
昼休み。
人によっては購買に買い物に行くこともあるだろう、持参した弁当を広げて友人同士で騒ぐこともあるだろう。面倒臭い学生生活の唯一のオアシス。それがこの長い休憩時間だ、と友人が言っていた。
その友人が凄い形相で睨んでいるのは一体全体どういうことだ。
「…そろそろ腹が減らないかね」
「まだ話は始まってもいないぞ、有紀」
図らずも、溜息が漏れる。
迂闊にもこんな生き物と知り合いになってしまったせいで、昼休みはいつも何か騒がしい。
決して一人がいいとかそんなんじゃない。ただ、必要以上に騒がしくなるのだ、こいつがいると。
「何の用事?…手短にね」
「まずは今朝のことだ。なんで俺に課題を写させてくれなかった」
「…ああ、ごめん。ちょっと遅くなって」
「何故俺の為にもっと早く教室に来ないんだ!始業の二時間前からずっと待ってたのに…!」
「暇なんだね」
それだけ早く登校できるなら、なんでその時間で課題を済ませようとは思はないのかね、君は。
「お陰で牛島にやたら笑われたじゃないか…もう俺進級できないかも知らん…」
「後ろ向きなのも程ほどに」
頭を抱えて机に突っ伏す友人、永山智樹君の頭を叩く。
そもそも入学式のとき、何だか取っ付き易そうだなあ、なんて思ったのが間違いだったんだ。こういう子は眺めてるに限る。間違っても深い付き合いにはなりたくないかもしれない男子No1、とか。
誤解の無い様に言っておくが、別に嫌いな訳じゃないんだ。いないと微妙に寂しいし。居ないなんて事の方が稀だけど。
「いや、それだけじゃないんだ有紀よ」
「ん、次は何」
「実は今日財布を忘れてな」
「残念だけど俺は君に貸すような金は持ち合わせていない訳で」
「冷たいなあ有紀は!友達だろ!」
「君にとっての友達は金蔓みたいな生き物なのか」
「この間拾った五百円でアイス買ってやったじゃないかー」
「拾い物は拾い物であって君の所有物じゃないでしょうに」
「ああもう!面倒臭いから俺の分の飯も買ってきておくれよう」
要するにお腹が空いたからご飯を恵んでくれと、そういうことらしい。厄介な患者です事。
そして困ったことに、俺は俺で昼食用のお金はコイン一個しか持ち合わせていない。判りやすく言えば五百円玉一枚。
母上様曰く、それでも多い、とのこと。残念ながら自営業の家庭じゃ子供にあまり金は回らないらしい。
恵んでやりたいのは山々なのだが…自分だってお腹は空く。人間の性というものだ。
「生憎だけど、俺は聖人君子じゃないもんで…」
「ひと月恨むぞこのやろー」
「何その具体的な数字」
ひと月の間地味な嫌がらせを続けると、そういうことですかごめんなさい堪忍して下さい。
こんな時こそ誰かに救援を、と思って辺りを見回して。やっぱり昼の休みは人が少ない。
この学校、決して広くはないんだけれど、校庭、中庭、裏庭と、やたらそのあたりが整備されている。知らない人を連れてきて、ここは公園ですよと言い張れば通る程度には綺麗なのだ。園芸部の活動とは別に清掃業者が色々やって行くとか何とかで。
まあそういうこともあって、学生は皆で払ってしまうわけだ。だから誰もいなかったりして。
と、不意に教室に残って弁当を食べていた銀見と目が合う。
…ここは委員長様に頼むしかない。地獄の沙汰で藁をも掴む、だ。明らかに違うものが混ざってるけれど気にしない。
首をかしげる銀見に向けて、アイコンタクトと身振り手振りで何とかこの惨状を伝えようと試みる。当然五月蠅い智樹を適当に流しながら。
二、三度首を傾げてから、ぽむと手を打つ銀見が見えた。
これでよし、と一つ溜息。なんだか溜息を吐く回数が最近増えた気がするけど気にしない。
ふい、と銀見の方を見返すと、なんだかスケッチブックに『OK』と書かれたものをこっちに向けながら、素敵な笑顔でほほ笑んでいた。


……
………あれ?
全然通じてませんでしたか、銀見さんや。
そもそもOKってなんでしょうか。何がどうOKなんでしょうか。誰か教えて下さいませんか。こらスケッチブックしまうな前に向き直るな。ああもう役に立たん。
「OK、さっそく購買に行こうか有紀君や」
「…返せよ?」
「まかしとけー」
またも溜息をついてから、椅子を引いて立ち上がる。
とても満足そうな智樹の顔に、決して心が満たされたりはしない。いっそこれはなんだろう…ああ、憎しみか。そうとわかれば明日はたかってやる。そうしよう。そうすれば、この暗い気持ちもきっとちっとは晴れるだろう。覚悟を決めておくといいわが友よ。
そんな暗く重い思考で半ば睨みつけるように智樹の横顔を眺めてみた。そもそも、俺以外に食料を要求できる友人はいないのか。…居ない筈無いんだけどなあ。
「あ、長友君、お客さんだよー」
「…お客さん?」
銀見の声に、振り返る。
俺の救援信号を、今までわざと無視して遊んでいたのか。…それはないか。先輩じゃあるまいし。まあ先輩じゃないからってそんなことありえない、なんて確証もない訳だが。今朝の事もあるし。そもそもあの出来事を今まで引き摺っているのかも謎ではあるが。
向き直ってから。
「どした?有紀」
「あぁ…ごめん。お金あげるから勝手に行っておいで」
「?」
「用事だよ」



「長友先輩、翠お姉ちゃんと同じクラスだったんですねえ」
屋上に一番近い階段の踊り場。特に何かがある訳でもないから、誰も寄り付かないような場所。
俺と結城さんと、二人並んで階段に腰掛けて、そんな事を話していた。
別にやましい事がある訳でなし、人目をはばかる理由もないのだけれど。…衆人環視の中にいるより、話しやすくはあるだろう。そんな気がする。少なくとも俺は。
「世間って狭いね…」
「ですよね、びっくりしました」
驚いた、というより、どこか嬉しそうな顔に見えるけれど。…嬉しいのかな?幼馴染の先輩の友達が部活の先輩の幼馴染って事は。ややこしいだけな気がする。
「で、何の用事?」
「立花先輩に本を返そうと思って来たんですけど…今日お休みしてるみたいで」
何を抱えているのかと思えば、昨日言っていた本だったらしい。…やっぱりあの本を持ち歩くのは恥ずかしかったのか、小奇麗な鞄に入れてある。
「…いや、多分早退かな」
「へ?」
「あの子、意外と学校好きだから…そんなに頻繁には休まないよ」
一昨日朝からサボったばっかりなのに、今日もまたサボる、なんてことは考えにくい。
事態がよほど急変しない限り、あの子は結構真面目に学校に通うことになっている。そういう約束でもあるし。大体朝見かけたし。
「今朝も見かけたからさ、多分平気だよ」
「でも、昨日あんなこともあって…あんな…」
言いながら、だんだん声を落としていく結城さん。
こら、顔を赤くするな。
「…やましいことはないよ?」
「ぼっ、僕っ、何も見てませんよ!?」
「取り敢えず落ち着こうか」
傍から見たらそんなに親密そうに見えたのか。いや、そうなんだろう。心外だけど。あの甘え癖は何とかならないものだろうか、アヤメよ。
「ごめんなさい、なんだかお邪魔したみたいで…」
「思い出さなくていいから。謝らなくていいから。そんなんじゃないんだからさ」
「えー…?」
「不満そうな声を上げない。…どうして欲しいのかな、もう」
「うう、ごめんなさい…恋人さん達の邪魔をするのって初めてで…」
「こら」
「あいて」
ぺしんと。思わず頭を叩いてしまった。
頭に疑問符を浮かべながら、きょとんとしてる結城さん。流石に今のは君が悪い。いやそうでもないか。
「ぅ、ごめんね、つい…」
ぽむぽむと、さっき叩いてしまった所を撫でる。いつもの癖で。
「いえ、いいですから、あの、撫でないで下さい…」
「わ、更にごめん」
そうだよね、託児所の子供たちと違うんだから。どうしたんだ自分。
真っ赤な顔で、うー、とか軽く唸りながら髪を整える結城さん。…オーラかなあ。なんだか似たオーラが出てるんだよな、子供たちと。失礼か。
「ええと…。取りあえずその誤解を解こうか」
「お付き合いしてらっしゃるんじゃないんですか?」
「…それは何?まさかアヤメが言ったわけじゃないよね?」
「そういう訳じゃないですが…そうとしか見えませんでしたよ…?」
首をかしげる。
…厄介なところを見られたとしか言いようがないじゃないか。もう。
「違うんですか?」
じ、とまっすぐこちらを見て来る。瞳がなんだか真剣だ。
実際、そういう事実はない訳で。恋愛とかそういうこっぱずかしい物が絡んできたら、今までどおり接する事ができるのか否か。
…否、だ。絶対に自分より先に逝ってしまうとわかってる人なんて、今の自分に愛せるわけがないじゃないか。
それ以前に、相手がアヤメだという前提が間違ってる気がする。
「残念だけど。面白くなくてごめんね」
「ぁやっ、いいえ!僕の方こそなんかとんでもない勘違いを…っ、ああもう僕の馬鹿…」
ぱたぱたと、器用に大人しく暴れながら自分のおでこを叩く結城さん。いちいち面白い。
…しかし、『僕』、かぁ…突っ込んだら駄目なのかな、駄目なんだろうなあ。
うちの母親も地が出ると俺だのウチだのと乱れた言葉遣いにはなるけれど。まあ、『世間の普通』でないだけで、おかしな処は無いんだけど。中身が中身だからこんなにも違和感があるのか。
「そうだ、話が大分逸れちゃったんですけど…」
「ああ、なんだっけ、本?」
「です。僕、今日ちょっと用事があって返しに行けないので…代わりに行って下さらないかなって」
「ん、いいよ…あ、待って。俺も無理だ」
先輩との約束を危うく反故にするところだった。…あれを約束と言っていいものなのかどうかは難しいが。
「あぅ、残念ですね…先輩に申し訳ないなあ…」
「何、早退する方が悪いんだから。気にしたら駄目」
「んー…そう、ですかね?」
「まあ、ちょっと遅くなるけど多分俺は行けるし、預かっとく」
「わ、ありがとうございます」
ひょいと鞄を受け取って、小脇に挟んで立ち上がる。
そろそろ、午後の授業の始業時間。いつの間にか、随分と時間が過ぎていた。…智樹はお金、全部つかったかなぁ。割と中身は常識人だから、二百円程度は残してくれてるかも知んないけど…そこまで期待しない方がいいか。
「あの、長友先輩」
「ん?」
おずおずと、そんな感じで結城さんが立ち上がり、口を開く。
まだ何かあるのかなと、ちょこっとまってみれば。
「今日のご予定は…お付き合いしてる方ですか?」
「…好きだねぇ、そういう話。違うけどさ」
「うぇ、そうじゃなくってっ、気になるだけなんですよっ」


一生懸命な結城さんの声にかぶさるように、午後の始業ベルが、鳴り響いていた。
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