3.

 少女の住むガラッシア王国の北の国境は川だった。
大きな河で、古代技術の粋を集めて渡された石造りの橋が1kmに渡って人と物の往来を助けている。その橋の入り口には当然の様に憲兵が直立していた。
 ガラッシアは持ち直した感のある中興の国家。
まだ国王の威は全国へと鳴り響き、地方が腐敗している事も少ない。しかも北は貿易の重要経路で目が厳しく、そこら10代前半の少女が一人で剣を持って国を出ようとしたら、検問される事は明白だった。そして検問されたらそれなりの大金が出てきて、余計に拗れる事も火を見るより明らかである。
それに少女とて何か確固たる目標があって国を出ようとしている訳ではない。何となく外の世界を見てみたいと思ったのと、平和なこの国で少女程の年齢が働ける場所はそう多くないと思ったからだ。それだけの理由で危険を冒すのはリスクが高すぎた。
 国境に着いたその日に引き返し、一番近くの街コルリスに暫く逗留しようと決めた。
 道路は整備されていて歩道と馬車の通る所も区別されている。この国は遥か偉大な国家の跡に出来た国。先人たちの遺産が今を生きる人を助けている。
 その歩道を他の旅人に混じって歩いた。コルリスには半日ほどで着くだろう。
あれから一ヶ月程の時間が流れていた。
晩秋に係り、刻一刻と寒くなる毎日で北に来れば来るほどそれは厳しくなっている。一月か二月辺りになればこの国も雪に覆われ、川は増水するが、流石にまだそんな兆しはない。
 当てのない旅。
 確かにそうだが充実した日々を少女は送っていた。自分で行き先を決めて自分で何をするか決める。それを実際にする事が今まで少女がしたかった事に他ならなかったのだから。
 懸案の路銀は強奪した財布に思いの外、沢山入っていて暫くは心配する必要もなかったし、護身の方は剣を毎日振るっていたらそれなりの形にはなって来た。これはあくまで少女の独断だったが。
 だが、それも全部振り出し、外に出なければ話にならなかった。  この国は本当に平和過ぎる。
 予想通り半日ほどでコルリスに着いた。既に日は傾いて久しく、日没まで幾許も残されていない。表通りに面した食事処と宿が一緒になっている建物が目に入ったのでそこに宿泊する事にした。一階が前者になっていて二階が後者。
 この街はガラッシアの最北端にあり、シオンへの道エニャティア街道が連なっている街の一つでもあるのでガラッシアの中でも比較的発展していて人も多かった。商業を経済の基盤にしているガラッシアは人の流通が盛んでそれに伴っての金と物の移動も激しい。
 食事処も夕食時というのもあり商人やら冒険者やら傭兵やらそんな人たちで一杯だった。
少女は空いていたカウンター席の一番端に腰を下ろした。
「鹿肉ときのこのパスタ? を一つ」
 店主らしき40過ぎの男に注文して、荷物を壁側の方に下ろす。 剣と適当に市場で買い求めた旅の便利道具の小さな荷物だ。
 少女はその歳にしては賢明で人が在野で生きていく為に必要な物を見分ける目は付いていたらしい。その中には短弓も含まれていた。兎などの小動物を捕らえるのに抜群の威力を発揮する弓の習得に少女は然程時間も掛からず成し遂げた様である。
 手早く食事を済ませ、ガラスのコップを傾けてのほほんと食後を満喫していたら、ふと、隣の壁には色々な紙が貼ってある事に気が付いた。
 それは、何か物を探して欲しいと言った物だったり、盗まれた物を取り返して欲しいという物だったり、娼婦の張り紙だったり、――求人の張り紙だったりした。
「――マリウス傭兵団。年齢不問、性別不問か」
その中の一つに眼をやり、少女は呟いた。
「それは大丈夫なのか」
 活動の拠点は隣国であるイウェール王国らしいが、就労制限のあるこの国でこんな求人を出していいものなのか。
「ま、私がどうこういう問題じゃないが。それにしても――」
 魅力的な話だ。
 懸念がない訳ではないが、仕事の場が与えられる可能性があるというのは大きい。
 更に読み進めていく。
「興味のある者はアルジャンに来られたし――終わった」
がくりと頭を垂れて溜息を吐く。
 アルジャンはイウェール王国のガラッシア沿いの国境付近の街だ。ここからそう遠くはないが越えられぬ物を越えるのが前提では意味がない。頭の隅にでも留めている程度の事に一瞬でそれは成り下がってしまった。
「……まずは方策を考えないと」
 そう頭を巡らせ掛けた時、
「ねえ」
と声を掛けられた。
 その声の方に振り返ると茶色の短髪をした少々頼りなさそうな風貌の男が緊張した面持ちで立っていた。歳は少女より1、2歳上だろうか。少なくとも15歳は越えている様に見える。
「何?」
 素っ気無く返すとそれだけで怯んだ様に表情が引きつった。
「あ、あの君もこれを見てたようだけど」
 示すのはマリウス傭兵団の求人広告。
「ああ。それが?」
 意図が掴めず少女は首を傾げる。
「ぼ、僕も。僕も行こうと思ったんだ」
「だから、何?」
と、言って、少女は一つの可能性に気が付いた。
(一人でダメなら二人なら)
危険を分散させればいい。まあ、二人だと半分にしかならないが。
「あの、一緒にどうかなぁなんて思って」
 どうしよう、と少女は頭を巡らす。
 頭から少年の話を信じる事はできないけれど、嘘を言っているとも思えなかった。大体、少女に嘘を付いて近づいてきてなんの得があるのだろう。
 では、とそれを前提に考えてみる。
 少年はいかにも騎士の見習いと言った風貌。少なくとも剣を佩いていても何ら不思議ではない。少女と違って。
 それなら、そう例えば主人の物だとか何とか言って大金を問題にせずに済むかも知れないし、それ以前に検問すらされないかも知れない。
 ならば、断るメリットもなかった。
「いいよ。別に」
「え、ホントに?」
 反応が意外だったのかひどく驚いた顔で少年は少女を見下ろした。
「嘘を言ったってしょうがないだろ」
「そ、それもそうだね。僕はバルナバ。君は?」
「――アリス」
「そう。宜しく、アリスさん」
 その言い方に少女は自嘲気味に笑う。
「さん付けなんていらない。私が年下なんだから」
「え、そう? 何歳?」
「……14」
 適当な嘘を付いて誤魔化そうとかとも思ったが、所詮そんな事は直ぐにばれるだろう、それでもバルナバと名乗った少年は驚い た様だった。
「14? そ、そうなんだ。僕は16。てっきり同じくらいだと思ったんだけど」
 16、と口の中で呟く。
(それと同じくらいに見られるって一体……)
 内心結構傷ついたが、この場合はそれがプラスに働いたと自分に言い聞かせた。
――言い聞かせたが、簡単に納得できるものでもなかった。
「と、兎に角、分かったよ。君も僕の事呼び捨てでいいから。対等な関係でいこう」
「……分かった。出発は明日?」
「うん、今日はもう暗いしね。そのつもりだけど」
「じゃあ、朝7時にまた此処で」
 それだけを約束して、少年と別れる。
 もう休もうと思い二階に上がって、自分に当てられた部屋を探す。
「っと。此処か」
 目的の場所に辿り着いた少女は扉を開ける。そこは少女に十分な広さの一人部屋だった。
「はぁ、もう寝よ」
 真っ直ぐ進んだ所にあったベッドに倒れこむ。
仰向けに向きを変えると、右手の方にあった窓から下弦に食われた月が浮かんでいるのが見えた。
「――なんで、こんな事になったんだろ」
呟いたそれは何処にも届かず、虚空に消える。
「でも、まあいいか」
 眼を閉じると、すぐに深淵へと誘われた。
 次の日は、いつもより少しばかり早く起きて、やはりそれなりに緊張しているのだ、と自嘲してから支度を始めた。何が必要で、今何がそれを満たしていないか、本当は昨日の内にやっても良かったが、特に日に追われている訳でもない。そういう時は時間に追われるように振舞うのも馬鹿らしかった。
大した準備も大した心構えもせず、少女はバルナバと名乗った昨日の少年と落ち合い、出発した。
「あ……しまった」
はっとした様にアリスは声を上げる。
「ん、どうした?」
「こっちの言葉知らない」
 結局なんの検閲も受けずに大橋を渡り終え、イウェール王国の地を踏みしめた直後だった。
「ああ、そんな事か」
 この時ばかりは何故か年長者の余裕がバルナバから感じられた。
「そんな事って」
「大丈夫。僕が喋れるよ」
 驚いて彼を見上げる。
「うそ」
「いや、なんで即断されるの。ホントだって。意外と僕は良家の出なのだ」
「信じられない」
 ジト目で見上げる姿は本当に信じていない様で、少年は肩を落とした。
「僕をなんだと思ってるのさ、会って一日だよ」
 それで分かった気になって貰っては困ると苦笑した。
「……そうだな、認識を改める必要がありそうだ」
 信じきれない部分が滲み出ていたが、使えないよりは余程ましだという事で自身を納得させる。あまり自分の勘も当てにならないと思った。
 暫く地図を読むのをバルナバに任せ、少女はそれにただ付いていくだけ、という形になった。地図は出発の時に適当に少女が買い求めたものだ。
 一生懸命、地図の表記と現在の位置を確認するように頭を上下させる少年は、存外、頼りになって少女の心証をよくするには十分な働きを示した。パートナーとしては相応しかったのかも知れなかったが、彼の働きは逆に結局、一人では何もできないという現実を彼女に突きつけた。国外に出ようとした時に言語の事を考えなかったのは愚かとしか言いようのない失策で、言い訳できるような余地はない。苦々しい気持ちが胸の中に満ちたがそれを払拭できる訳もなかった。
 もっと冷静に、もっと周到に、もっと全体を見通して。
 戒めを新たに、バルナバの後に付いて何時間か歩き回ってやっと目的の地に辿り着く事が出来た。
 アルジャンは交易の要衡でこの国の中でもそれなりに発展している街だった。コルリスとは大橋を挟み、距離が概ね等しく対称のような関係にあるのだろう。街並みは国が違うから幾分違えど、纏っている雰囲気には似たようなものを感じた。
 その中で、少女と少年の目的の場所は普通の建物だった。三階建ての木造で、周りもそうだがシオン程の活気と洗練さはなく朴訥な印象を受ける。
 正面の看板には、マリウス傭兵団、とファラミル語で書かれていた。
 どうして、その言葉で書かれているかは分からなかったが、下にこの国と思しき言葉と、もう一つ見慣れない言葉が書かれていたから、ただ併記しただけなのだろう。
 立っていてもしょうがないので、バルナバを連れて中へと入る。  正面に受付の様なものがあり、その左隣には階段が上下へと繋がっていた。広くとも狭いとも言えない広間には、十数人の人間がいた。きっと少女らと同じ理由でいる者や、仕事のないここの傭兵たちなのだろう。
 受付には、妙齢の女が座っていた。
「坊やたち、何の御用?」
 燃える様な赤髪をショートカットにしたその女性はファラミル語で喋った。きっと内容は分かっているだろうに、その表情は嘲りに近いものがあった。
「応募の紙を見て。どうすればいい?」
 少女が元来の跳ねっ返りで強く答えてから、思う壷だったと後悔したが時が戻るはずもなく、女は自分の思った通りの反応を見てさらに笑う。
「気の強いお嬢さんだ事。後ろの坊やも?」
 呆けていたバルナバはいきなり話を振られ、裏返った声で返答した。また女は笑い、手元を見て、それから階段を指し示した。
「上に行って。お嬢さんは三階、坊やは二階ね」
 ふん、と鼻息荒く乱暴にその場を後にする。慌ててバルナバが追ってきたがそんな事を気にする余裕はなかった。
 二階で緊張したバルナバを置き、少女は三階への階段を上る。きし、と木が軋み、それを何回か繰り返す内に徐々に冷静さを取り戻した。すると、人並みに少女の中にも不安が滲む様にゆっくりと、しかし留まる事なく確実に大きくなっていった。
 人生の岐路に立っているのではないか?
 もし、これでダメだったらどうすればいいのか?
 考え出したらきりが無かった。
 でも――
 やるしかない、という事だけは確実だった。
 いつの間にか扉の前に立っていた。何かが変わって何かが始まるかも知れない。
(うん、頑張ってみるよ、ロザリー)
 一つ息を吐いて決心をしてから扉に手を掛けた。
 きい、と蝶番が鳴いて開く。
大きな部屋で正面は本棚だった。視線を滑らして相手がどこにいるのだろうと見回すと、左手の奥に机があった。
「誰だ?」
深く沈んだ声。その主は机に積まれた書類に埋もれて姿は見えなかった。
「受付に聞いたら、ここに行けと」
少女が答えると、ほう、と感嘆するような声を上げる。
「こちらに。名は?」
「アリス」
 少女は近づきながら答え、机の正面に立った。そこからは男を覗き見る事ができ、まだ若い30そこそこの精悍な顔立ちの男だった。書類に眼を通しているのを暫し止め、ちらりと少女へ視線を寄越す。黄色の眼が射抜く様な鋭さを持っていた。
「何を遣える?」
「剣を少しと、弓を」
 それでも少女は普段通りに言葉を繋ぐ。男に対するのは少女がこれまで経験した事のない類の事だったけれども緊張は確かにあったがそれだけだった。
「人を殺した事は?」
「一度」
 そこで男の目が少し光った様な気がした。
「抵抗はないな?」
「はい」
「よし、いいだろう。合格だ」
 それだけだった。
 呆気なさ過ぎて、暫く何の事か分からなかった。
「ご、合格?」
「ああ、そうだ」
「どうして?」
 男が立ち上がった。170後半程の身長だったが大きな威圧感を感じた。歴戦の者はこういうものだろうと、未だに追いついていない頭の隅でそんな事を思った。
「私はマリウス傭兵団総長グラディウス・マリウスだ。赤髪の女にここに来る様に言われたのだろう? あれは副長のアニタだ。ここに送られてくるのは殆ど無条件なんだ。あいつの独断でな」
 少女は一気に提示された事実を混乱した頭で咀嚼するのに手間取り、頭の中に何度も?マークが浮かんだ。
「あいつの悪い癖でな。よくあんな事をするのだ、気にするな。お前はまあ気に入られたのだろう」
(という事は何か? もしかして初めから合否が決まってた?)
 行き着いた結論はそれで、しかし、彼女に気に入られるような事をした覚えはなかった。反対に生意気な態度だったと思うのだが。
 男は何とも言えない苦笑を漏らし、少女へ手を差し出した。
「ようこそ、我が傭兵団へ。歓迎するよ。将来の幹部候補君」
 まだ混乱していたが、再び差し出された手を握ると、大きな掌に力が込められた。


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