6.

 件の傭兵団を見つける事は容易に叶った。まず、傭兵団自体が数える程しかなく、ご丁寧に目的の傭兵団の名前を知っているのだから、これでは見つけられない方が困難だ。そして、想像通り資金が潤沢とは言えそうにない小さな傭兵団だった。拠点らしき建築物は鄙びていて出来る事なれば近づきたくなかった。
だが、そんな事も言っていられないのでドアを開くとその上に備え付けられているベルが鳴り、乾いた室内に響いた。
 人は疎らだった。ベルに反応して少ない全員がアリスの方を向き、それを睥睨すると殆どの人間が目を伏せた。その中で目を逸らさずに見据えてきた人間が一人だけ居た。まだ若い、アリスより1、2歳ほど年上らしき青年で、彼女を捉えて離さない琥珀色の瞳は吸い込まれそうな程の言い知れぬ大きさを感じさせ、自身の方が逸らしたい感覚に襲われた。それを割と大きい自尊心で抑え込み、耐え切ろうと心積もると同時に、ふと彼の圧力が消え柔和に微笑んで彼女の方へと歩み出て来た。
「ようこそ、シラー傭兵団へ。お待ちしておりましたよ。アリスさん」
よく通る声で慇懃に振舞い、彼は知るはずもない名を口にした。それに呆気に取られしばし言葉を失い、また、その姿を見て息を呑んだ。
 こういう人間を美男子というのだろう。身長がすらりと高く鼻筋は通っていて琥珀の眼は人を何ともなしに惹きつける。――そして、何よりアリスの興味を惹いたのは、その立ち居振る舞いだった。何故か胸を締め付けられる、遠く忘れている何かと繋いでくれそうで。
 もしかしたら、その藤色の髪も何かしらの影響を与えているのかも知れない。
 彼はそんなアリスの反応をくすりと妖艶に笑ってから再び口を開く。それはなんで彼女の名を知っているかという一番最初の謎の種明かしだった。
「おや、ご存知でないようだ。拙は貴団の支部長から依頼を受けているのですよ」
 支部長。そんなものは一人しかアリスは知らない。
 結局は狂言回しなのかも知れない。それはそうだ。こんなとこ何の益にもならないような場所だ。
 些か、拍子抜けは否めなかったが取りあえず、どんな依頼なのか聞いてみると再び彼は慇懃な仕草で詳細を語ってくれた。
「私の隊に同行して頂きます。私にもその意義は掴みかねますがそれが依頼の全てです」
 言葉を聞いて頭の中が真っ暗になりかけた。休暇なんて存在しないじゃないか。
 そう思って憮然としていても、目の前の男には関係のない事だし、それに今更どうしたって最初からこれは命令に近いものだったのだから休暇なんて端から無かったと観念するしかないようだ。
「……なる程。よく分かりました。お手数をお掛けしますがよろしくお願いします、ええと?」
 そこで初めて目の前の男性の名を知らない事に気付いて、口ごもると、彼は
「セレンです。セレン・ウィオーラ。どうぞセレンと呼んで下さい」
 人を惹きつける笑みでそう答えた。
 何となくそんな彼から丁寧な言葉を貰っているのが居心地が悪くなってしまって、彼女は普段通りにするようにと願い出た。
考えてみても明らかに年上風な男で、それに今は確かにアリスの方が立場は強いが指揮下に入るとなってはこれでは不都合だろう。
 それは分かっていたのか、彼は簡単にその申し出を受け入れた。
「うん、分かった。じゃあ行こうか、アリス。君の到着待ちだったんだよ」
 その日はいきなり戦場へと連れて行かれた。と言っても、総勢100人にも満たない小競合いで殺し合いをするのも馬鹿らしくなる様な指揮の元でだったが。
 セレン・ウィオーラはマリウス傭兵団で言ったら伍長かそれより少し上くらいのポストらしく部下は10人程度だった。
「君は指揮官じゃないんだね」
 戦闘後の後始末の最中の折、ウィオーラはそんな事を聞いてきた。
「なんで?」
 どういう意図ものものか考えが思い当たらず、訝しがると、彼は苦笑気味に手を振った。
「いや、分からないのならそれでいい。成程、送られてきた理由が分かる気がする」
 何を納得したのかは知らないが、随分な言い草だった。
 憮然とした反応を返すと、彼は肩を竦めて仲間内へと戻って行った。それを少女は眺める。
 成程、これだけは認めてもいい。
 彼はその集団の中で他の誰とも違う、そう、決定的な“何か”の違いを生み出していた。
 それが何かは分からない。勘違いかも知れない。だが、アリスに取ってそれは自明すぎるくらい自明で、休暇が吹っ飛んでしまった事など綺麗さっぱり水に流してもいいくらいに惹かれて止まない事だった。
 そういう人間に会うのは初めてだ。居る事は神話や伝記を聞いては知ってはいたけれど、そんなのは、もっと住む世界の違う英雄やそんな物の類だとばかり思っていた。でも、存外と近くにいるものらしく。
 こんな辺境の傭兵団に遣わされたのも分かる気がした。ウィオーラならば、マリウス傭兵団で300名を指揮下に置く大隊長でも納得してしまうだろう。実力がそれだけあるかは分からないが、少なくとも形だけは決してそれに遅れを取らない威風が備わっている、とアリスは思う。その実力は今から見ればいい事で、もしかしたらミーネもそれを期待しているのかも知れなく、そうだとしたら彼は大きく注目されている成長株なのだろう。
 久方ぶりにアリスの精神は生産的な指向を示し始めていた。
 セレン・ウィオーラ。
 俄然、興味が湧いてきた。火が付くまでが水に湿っているが如く遅く、付いてしまったら忽ち業火となるアリスの好奇心は今、既に鉄をも溶かさんばかりに燃え盛っていた。
 幸いな事にその好奇心を満たす好機はすんなりと訪れる事になった。
 小競合いから2,3日暇が続いて手持ち無沙汰になり、その暇を持て余していた頃、アリスはウィオーラの天幕に呼ばれた。
「テミリオン平野は知っているかい?」
 手紙に眼を通していたウィオーラは手紙を仕舞うとアリスに視線を寄越した。それに首を振って否定を示すと、二人を隔てているテーブルの上に散乱しているワインのボトルやら肴のチーズを盛っていた皿などを面倒そうに一掃してから国境辺りの地図を拡げた。
「ここがマリニャーヌ。で、そこから西に、そうだな、100km程言った所だね。ここはフォーテーヌ伯とシャルトル伯の領地の境界でもある」
 地図で見る限りでは領地の境である前に国境でもあった。南北にイウェール王国とボシュエ公国、そして東西に同じイウェール王国臣下である両伯の境界線がテミリオン平野と言われる場所を存在せしめている。
「まぁ、大方、帰属関係で揉めたんだろう。とかく、戦争になった。俺の隊にも出動命令が下った。明朝、出発する。君も付いて来て貰うよ。そういう契約だからね」
「ああ、分かってる」
 至極冷静に返したが、心の中では逸っていた。
 これで、ウィオーラの本当の実力を計る事ができるかも知れない。彼の本質は戦士なのか指揮官なのか、将又そのどちらも備えているのか、逆に何一つ秀でるもののない普通の人間なのか。これで普通なんて結果が出たら、きっと殺したくなる様な失望を覚えそうだ。
 それはここまで裂いた労力や存在する事を許されなかった休暇を思ってではないだろう。
 彼女はセレンが偶像の様に彼女の思った通りの人間である事を望んでいた。
 伝説や神話に出てくる様な容姿をしてる。立ち振る舞いもそれに相応しい。後は中身だけなのだ。もしかしたら本物に会えるかも知れない、とアリスは少なからず本心のどこかで思っている。  子供じみてる、と冷静さを失わない程の自己分析はできているがその思いは抑制できていない。
 仕方もない事だった。アリスは幼少の頃、妹にしてあげる話が決まってそういう類な程でいい加減に飽きたと愛妹に何度言われたか。――それほどに魅了されていた。
 まだ、完全には大人になり切れていない彼女にそれを打ち捨てろと言うのは酷だろう。
「どうかしたかな」
 暫くじっと見詰めていたらしく、ウィオーラは不思議そうに顔を傾ける。
 いや、と慌てて言い繕い、それではまるで見惚れていたとでも言う様な仕草だと気付いて、心の内で毒付いた。
 案の定、というか、それとも彼の地がそうなのか、彼は柔和に表情を崩しその人好きのする顔を十二分に利用してアリスを望む。
「多分、この地域では類を見ない規模になるだろう。コライユ大公が派兵すればその限りではなくなるが、万を数えそうなのはそれぐらいだ。今度は7,000ばかり。それでも壮観だろうな」
 アリスのそれを疑問と受け取ったのか、注釈を付ける彼は最後の方に感想を述べ、意外と少年なのだな、という印象をアリスに与えた。そこで一体幾つなのだろう、という疑問が彼女の中で芽生えた。貪欲なまでの好奇心は彼の些細な一面でも窺い知ろうと活発に彼女に働きかける。
 見たところは18前後。でも、もっと若くても不思議じゃないしもっと上でも不思議じゃない。不思議な感じだった、時が止まっている様な、誰かに何かに似ている様な。―――暫しの逡巡でアリスの中の何かと繋がりそうになって、しかしそれは結局、気の所為だろうと判断を下す程の曖昧なほんの僅かな既視感だった。
「君はどれくらいの規模まで経験してるの?」
 彼も意外とそういうのには好奇心を覗かせるようで、爛々と瞳が輝いていた。
「ええと」
 ざっと経験した戦争を頭の中で掘り起こし、照会してみても、あいにく彼が期待するような会戦には従軍していない事はすぐに気が付いた。これまで経験した4度は4度とも小さな小競合いで戦死者も10名を越えない程度に過ぎない。そうだ。アリスにとってもその規模は実に興味深い、大きな経験を望める、本当ならもっと、そう目の前の青年と同じ様に興奮してもいい筈だ。なんでそんな事に思い至らなかったかと言うと、やっぱり目の前への興味が1万弱も集まる戦争より上回っているという事なんだろう。
 逡巡の間の仕草を見て、期待に沿う答えは望めないと悟ったのか好奇心を内に引っ込め、至極冷静さを装った風に、彼は再び口を開いた。
「では、丁度いいね。僕らは若い。こういう経験も必要だ」
 それはつまり、少なくとも青年はアリスの事を同い年くらいと思っている訳で、そう外れてはいないだろう目星を彼女が付ける要因くらいにはなる。
 一先ずの決着が見えて一段落した彼女は内にばかり向いていた思考を少しばかり外にも向ける事にした。応対がお座なりになりすぎて不興を買ってしまっては元の木阿弥だ。見たところウィオーラは気を使ってくれているようだし、それには応えないといけない。
「そうだが……私は傍観者だからな」
 ああ、なんでこんな偏屈にしか答えらないのか。案の定、彼は苦笑した。
「敵にはそんなこと関係ないよ」
 正論を受け口を噤む。
「まぁ、俺としても結構興味があるからね。期待をしているよ」
 その期待は何に対してなのか、少しばかり含みのある言い方でウィオーラは笑ったのだった。


BACK / INDEX / NEXT
SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ