11.

 彼女が再び目を覚ますまでの間に、シャルトル伯、元老を交えた作戦会議が開かれた。
 円卓で向かい合う中、セレンが自ら立てた大雑把な筋道に肉付けしつつ、二人が時々自分の意見を述べて細部まで詰めるという作業で、ラシェルは鋭い意見を言う事があったが、元老の方はその方面ではやはり全く役に立たなかった。それでも、敵軍の人間の人となりを聞く際には面目躍如の活躍をしてくれたのだが。
 通訳を臨席させなかったので、ラシェルとはファラミル語で喋り、元老とはウェスミル語で喋らなければならなかった上にラシェルは元老との会話を一々知りたがり、翻訳までしなければならなくなってその労苦は負担となって彼の思考のスピードを著しく減退させた。だが、それをとやかく言っても仕方のない事で、諦めが肝心と、下手に考えるのはよして目の前の作業に彼は没頭した。
 尊大な領主様は会戦での決着がお望みで、それは復讐の他に先の屈辱を雪ぎたいと思いから発露していた。余程の負けず嫌いで、セレンは仮に自分が彼女でもそう思うだろうと類似点に見出し、それは決して覆せない決意なのだろうと読み取った。
「ですが、それはずっと先の話です。ラシェル様。頭には入れておきますが、まず敵の戦力を削る事を考えましょう。そうですね、夜襲などで」
 5km程離れている軍営地。こちらは見下されてはいるが風上だ。これを利用しない手はない。
 それに今までそういう類の事は一切やってこなかったのだから、警戒が十分でない可能性は多分にあると考えられる。
 重装歩兵は限る程度しかいないから、投入できる戦力も十分だ。  夜襲が成功すれば、いくらか敗戦を払拭できるし、どんな形にせよ勝つという事を兵たちに体験させられる。その上、それまで抱いていなかったシャルトル軍に対する恐怖も幾らか植えつけられる事も望める点は見過ごせない。
 再戦に際してこんな恰好の状態はそうそうないだろう。
 しかし、それをラシェルは当然の様に却下した。
「勝利は盗まない。私は正々堂々と戦う」
 彼女は竹を割ったようにあっけらかんとした性格をしていたが、また行動原理という点でも真っ直ぐのものを持っていた。
 それでも負けてしまえば意味もない。
 どうしたって限りのある戦力で正攻法しか残されていないとなるとセレンには取るべき手段など考えつかなかった。
 今のままで会戦になれば確実に負ける。前より善戦できるだろうが、負けは揺るぎない。
 セレンはこの命令には承服できない、と決めた。
 彼女には自分の信念を曲げる事くらいは甘受して貰おう。
 今の状態から勝利を引き寄せろ、とはそれくらい全く代償にもならない筈だ。
「アジャーニ殿。フォンテーヌ伯はラシェル様のこの様な性格を知っていますか?」
 いきなり話を振られてびっくり眼の彼だったが暫く思案して、肯定を示した。
「ああ、一度だけ見えた事もあるからな。それにあ奴が調べない筈が無い」
 その回答に頷いてセレンは再びラシェルを見た。
きっと奴らは枕を高くして寝ている筈だ。来ないと分かっていて、無駄な労力を使う筈がない。
 これは千載一遇のチャンスだ。
 大きな被害を与えられればそれだけ後の状況に関係してくる。勝利を引き寄せるのもずっと易くなる。
「ラシェル様。貴女はここに何をする為にここにいるのですか? 戦争に来たのですか? 道義を守りに来たのですか?」
 拒否を示すセレンの言葉を受けて彼女は不機嫌そうに顔をしかめ、それから難しい顔をして黙り込んでしまった。
 理想と現実の間に苦しんでいるのだろう。
 彼女にだって分かっているのだ。戦力の差くらい。それくらいの冷静な頭は持っているのだが、あまりに現状にそぐわない理想も一方で抱いていて、それを捨てるのは中々勇気のいる事だった。
 確かに、勝利を盗まない、と大言して本当に会戦で敵を破った将軍もいる。が、その故事は今のシャルトル軍にはとてもではないが再現する事はできなかった。寄せ集めでろくな訓練は施されておらず、率いる将も並以下の軍。故事の軍は当時世界最強に最も近い軍勢だった。
 今必要なのは確固たる信念ではなく臨機応変さで、彼女は
「……お前に任せると言ったのだ。お前の好きな様にせよ」
 自分の言葉には責任を取る人間だったし、何より、今何をすべきかを考えられる人間だった。
「はい、かしこまりました」
 早速、彼は部隊編成を始めた。
 暫定的に数まで書き込まれている部隊表を円卓の上に広げる。
 騎兵隊。軽装歩兵。弓兵……弓兵が居ないのは、痛手だ。火矢が使えないし、敵に近づかないと攻撃できない。
 投石器は……
 会戦時ならともかく拙速を尊ぶ夜襲でそんな鈍重なものを使う訳にはいかない。それに精度の高いそれの研究がなされているとも思えないから、工兵も全くの未知の兵器になるだろう。それでは益々信用できない。これは会戦の時にでも取って置こう。
いや、しかし投石器といえば徒手で扱う携帯用のものもあった筈だ。
 それをいくらか用意できれば弓兵の代わりにはなるだろう。
 傭兵の中には弓を持っている者はいくらかいる筈だ。それらは参加させるべきだ。
 そういえば、アリスも装備に短弓を持っていた。彼女を行かせれば、士気を上げさせる事ができる。
 ここでもまた、彼女には役立って貰おう。
 一つ筋が見つけられるとセレンの頭は次々と案を繰り出してきた。
 基本をなぞっているだけではあったが、適宜であると思われるし、それに借り物の軍では奇策を繰り出せる筈もない。この戦争は基本に忠実でありながら、敵に読まれる事なく、それを完成させなければならなかった。
 強いられる労力は多大で、得られるものは少女一人の歓心だけというおよそ釣り合わないものであるのだが、そんな事をセレンは特に気にしなかった。
 自分が戦争を主導できる、という一事はその他を全て勝っている。そんな体験、今の歳でどんな幸運の許に与えられるものなのか。
 こんな辺境のそれに高い評価が与えられるとは望めないと分かっているが、そんな他人の評価よりも優先すべき事は沢山あった。  それに、彼の価値を測っている様な雰囲気のアリスに多少なりともいい所を見せたかったし自分の事を好いてくれている少女に肩入れもしたい。
「準備はできるだけ大きな動きがないようにして下さい。アジャーニ殿。きっと密偵が紛れ込んでいる事でしょうから。兵に知らせるのもそれが理由で実行のその時が時期に適っていると思います。それまでは私と、アジャーニ殿、それにラシェル様だけが知っていれば良い事です」
 情報の大切さを強調して彼女らには伝える。
 夜襲は相手に備えられては全滅の危険性が強まる。少なくとも被害が甚大になるのは覚悟しなければならない。
 奇襲は虚を衝くから奇襲であるのだから、その意義を失う危険性を強める秘密を知っている人間は少なければ少ない程いい。
「心しておく。実行は?」
「時期を見て。停戦が終わるのを今は待ちましょう。処理は大丈夫ですか?」
 アジャーニは自信たっぷりに頷く。
「問題ない。大方片付いている」
 人道の名の下に結ばれた数日の停戦はこちらの戦死者の埋葬の時間が大分を占めただろう。
 戦死者も元々いる数も全く違い過ぎた。
 セレンはこの停戦の中で色々と考えを巡らす時間を得たが、それは相手に取っても同じだけの時間だった。
 アジャーニから聞いた所に寄ると、フォンテーヌ伯は人の裏をかくのを好むような人物――大分感情論が含まれているのに注意しつつ――らしく、ラシェルがこういう性格と知っていれば、セレンと同じような事を考えているかも知れない。
 それとも、勢いに駆って、会戦で叩き潰す道を選ぶか。可能性はどちらも甲乙付け難い。だから、備えだけは十分にしておくべきだろう。
 しかし、決断は早く下さねばいけかった。その中で、情報を正しく判断できるのか。勘の鋭さも左右する要素になってくる。
「指揮はどうする? お前が?」
「ええ、その方がいいでしょう。私の地位を示しておく必要もあります」
 その日の作戦会議はこれで終わりだった。
元老はすぐに出て行き、天幕にはセレンとラシェルだけが残される。
「お前の頭はどうなってるんだ?」
 出し抜けにラシェルは楽しそうに笑った。
 彼女には完全に懐かれている。ものの数回会っただけで仮面を被るのを彼女は止めてしまっていて、どうやら外部の、それを短い期間しか存在しない人間だから構わないと判断したらしく、セレンがもしかしたらシャルトル伯がどういう人間なのか吹聴したり敵に売ったりする危険を全く考慮していない、諫言すれば、信頼と呼べるものまで寄せているらしく、それはやはり子供の純真さから来るものなのだろう。
「多少なりとも軍学を修めていましたから」
「うちも真面目に考えねばならんな。軍学、やはりアエテルヌム、ガラッシア……ガラッシアに外征の経験があったか?」
 北の大帝国は成立から侵略と拡張の歴史で、南の古代の遺産は縮小の歴史だった。
「あったとしたら、この地方はガラッシアですよ」
 かの国は勢力を伸ばす余地が北にしかなく、今を以ってまだ、この地方は独立堅持している。
 つまりは、そういう事だ。
「そうだな、好きなんだけど」
 ただそれだけで、国策を左右するべきでない事を彼女はよく知っていた。
「しかし、体系論はウァレンシュタインが優れています。あの国はそういう国ですから」
 もう一つ、大国と呼ばれる国家があって、それは北の大帝国と一進一退の攻防を繰り広げている。北東の寒冷地の国家でアエテルヌムがこの地方との間に横たわっているので関連性は薄い。
「何を選ぶかは慎重にしないとおけないな。むう」
 真剣に悩み込んでしまったので、セレンはもっと目の前の事を思い出させる事にした。
「何よりもまず、この戦争に勝たねばなりませんよ、ラシェル様」
 彼女はセレンを見上げ、くすりと笑ってから自信ありげな瞳で
「お前が、勝利に導いてくれるのだろ?」
 全くの懸念もないかの様に言い切った。
 アリスが再び目覚めたのはその夜だった。


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