33.

 完璧と言える勝利が続いていた。神の加護もここに極まれり、とスカルウォラは絶頂の最中にあった。戦死者こそ通常より少ないものの司令官は討ち取っていたし、有力貴族の長も何人か殺している。それに何より敵はもう立ち向かってすら来ない。逃げようとするガラッシア軍をただ押し込めて殺しまくればそれでもうこの戦争は終わる。
完璧だった。古く偉大な国家が今、倒れようとしている。それも自分の手で。
人生をただ一度の不注意で狂わされてから長かったが、その苦労も報われる。あの若い皇帝は働きには報いてくれるだろう。
もしかすると皇帝、それも全アエテルヌムの全能たる皇帝陛下の右腕にもなれるかもしれない。可能性は決して低くはなかった。宮中に味方は少なく、と言うよりも敵に囲まれている彼が今、行うべきことは臣を集めることだ。少なくとも自分はその篩に今掛けられている。そして、その目に掛からないような小石ではないと自分を恃んでいた。となれば、きっと――
そう言ったまだ手に完全には掴み切れていない栄光に思いを馳せていた彼は結果的に危険な状態に陥る信号を見落としてしまっていた。
それに彼が気付いたのは大分軍を進めてしまった後で、だが、まだ取れる選択肢を狭められる前だった。それに気付いた時は背中に冷たいものが走るということを久し振りに経験して生きた心地がしなかった。
都市が、正確には、幹線道路に面した略奪に向いた都市と言う都市が押し並べて完全な廃墟にされている。人も残っていない徹底さで移動が不可能だった人間は全員が殺されていた。
少なからず、彼は衝撃を受けた。本当の相手が誰かということを思い知ったのだ。
老王。尊厳王。ガラッシアの歴史においても最も燦然と輝く名君の一人。
彼が名君たるを可能にしたのは、経済発展を成し遂げた安定した治世もそうであったが、その地位を確実にした内乱で、反対派を根こそぎ誅殺したことにあった。永遠の都の中央広場に設置された台には計5000人の首が並べられたという。その中には兄妹や甥や姪や、つまり彼の後を継ぐべき資格を持った人間が彼の息子以外全て含まれていたとも言われていた。やりすぎとも言える粛清の結果、かの国には現在直系の王族以外に王位の継承権を持っている者はいない。この冷酷さこそが彼を絶対的な国王にしていて、しかしその要素はとっくの昔に鈍っていると思っていた。今は温厚な賢君というのは大方の評判なのだ。そういうのを疑う事なく信じていたのは確かに甘かった。
冷酷な名君は未だ健在だ。この作戦で一体何万人を犠牲にしたのだろう。それすらも彼は不可避的なことだと割り切ったのか。
そんなことしかスカルウォラの頭には浮かんでこなかった。
こういう消耗戦になることを皇帝も彼の参謀も想定していない。三人で討議した際にも全く話題に上っていなかった為に完全な不意打ちで、余りに軍事や政略から離れていたスカルウォラにその対応を求めるのは限りなく酷というものだった。それでも彼もそこまで愚かな人間ではなかったから、どうにかこの罠を封じる手はないかと必死になって頭を捻った。
結局、迷いに迷い、人の意見を聞きたくなってしまった彼は幕僚会議を催すことに決めた。 
 遠征軍は8万で、内訳はアエテルヌムが拠出した5万と、デルタ三国が拠出した3万の弱兵だった。その中で幕僚を召集すればデルタ三国の人間がかなりの割合で混じることになるが仕方なかった。少なくとも条文では彼らとは対等な同盟であり、そのように扱わなければ要らぬ問題を抱えてしまう。いくら、こちらよりも遥かに劣っている連中だとしても。
 軍団長以上を出席させた会議には当然その三国の有力者たちも顔を揃えた。殆どの人間が40前後である中で一人だけ異様に若い少女がいたが、それが緩衝地だったかの地方の最大権力者だ。彼女だけは唯一アエテルヌムからの評価もマシな人間で、生かしておくのが危険と判断されている。皇帝陛下の神寵によって行われた条約の締結の最大の障壁であると見なされて、場合によってはそこで初めての戦闘が行われることも想定されていたが、彼女が現実的な道を選んだが為に南征軍は1度も戦闘することなくデルタ三国を手に入れたのだった。
その現実を見ている目が彼女を生き長らえさせ、アエテルヌムが彼女を排除するタイミングに苦慮するという事態を生み出している。過去の発言や施政から、共通の敵であるガラッシアに大きなシンパシーを持っていることは疑いようもなかったし、片親がガラッシア人でさえある。そして有能とくれば、危険視せざるを得ないが始末する正当な理由が今のところ見つかっていなかった。
 しかし、ただ殺すには勿体無いくらいの少女だった。1番遅れて会場に入って来た彼女が床に付きそうなほどの金髪を揺らして、所定の位置に付いた時には、列席者の殆どが彼女の挙動に目を向けていたのも無理はない。
この殺伐とした大概の出席者が腹に何かを隠していた場で彼女は一際輝いていた。後5年も経てばデルタ三国の中では屈指の美女になるだろう。益々惜しいが、なるほど本国が危険視するほどの才能が彼女にはある。
 会議が始まると、デルタ三国の人間はここまでの状況を礼賛することしかしなかった。彼らは投降者であり、アエテルヌムに阿って自らの地位を守ることにしか思考が行かないのだ。この状況が薄氷の上のものだと気付いている者はいなかった。そして、その追従を受けているアエテルヌムの人間も愚かしさという点ではデルタの人間と然程変わらなかった。
 彼は白々しい気持ちでそれを聞いた。ここで何か対応策になる欠片でも拾えないかと一縷の望みを抱いたのが馬鹿らしくなる。  すっと、白い手が上がった。少女だった。
 ほぼ全ての人間が眉を顰めたが、――当然のことだ。アエテルヌムにとっては危険人物だし、デルタ三国の人間にとっては目の上のたんこぶ。不倶戴天の政敵だ――それを無視してスカルウォラは発言を許した。もしかしたら、という望みがほんの少しだけだがあった。
 デルタ出身にして彼女の母国語はファラミル語であり、通訳を介さないでスカルウォラと会話する事ができた。その文の作法にはガラッシア訛りがありありと出ていたので、アエテルヌムの人間が彼女に対する目が厳しくなっていくのは仕方のないことだが、彼女はそれに誇りを持っているらしい。これもまた、彼女を本国が危険視する理由の一つかも知れない。
 年に見合わぬ冷静な声色で彼女は一つの提案をした。
「ここは、フィンニアまで退却するべきではありませんか」
フィンニアは幹線道路が何本か集中する要所だった。しかし、ここから幾らか北上してしまう。それが列席者たちの何かに触れたのか会議は罵詈雑言で覆われた。
出生とその言葉、権力、全てが彼女に反撥する方行に進んでいて、彼女の口を通して出た言葉は全て耳障りなものに聞こえてしまうらしい。しかし、状況を見る透徹した、その幼さに見合わない目は確かに現実を見ていた。怒号に包まれても彼女は視線一つ眉一つ動かさない。それが彼女をその年でその地位に押し上げているものなのだろう。
「何故だ」
 少なくとも、頭からその意見を否定することはスカルウォラには出来なかった。が、失望を抱くなというのは無理な提案なのも事実だった。
彼女はスカルウォラを見詰め、その赤い瞳には力強い光があり、それに従って先を続けた。
「相手はあの尊厳王です。それに、明らかに作為的に都市は破壊されています」
「我らに怖気づいただけだろう」
 誰かが口を挟んだ。
それに一瞥を寄越しただけで彼女は野次馬を黙らせた。
「どちらでも構いません。問題は補給に多大な影響が出ます。この数になれば掠奪に大きな比重を置かれているのでしょう? それが望めない以上、運ばれてくる物資に頼らざるを得ませんが、兵站線が伸び切っています。滞りが出てきます」
 戦況を見ただけならば、彼女の意見は多分、正しいのだろう。それに手持ちの軍団は殆どが新兵で、拠出させたデルタ三国の軍はその新兵よりも錬度が低い。兵站線の維持に必要な能力は多分、有していない。故に、彼女の言葉は正しいのだが、しかし、それ以外の要素を彼女は知り得なかった。
 ここで、フィンニアまで撤退するということは相手に主導権を傾ける可能性があるのは勿論だが、もっと本質的にそれを選択することが出来ない理由がある。それは彼女の提案だけでは解決されない。
 長期戦になった場合、それを支えるだけのものがアエテルヌムにないのだ。本国のプライマリーバランスはもはや火の車だった。相次ぐワレンシュタインとの戦争。戦争が最も金のいる施策であることは誰でも知っている。もう十数年と戦火の絶えない領国間の関係でアエテルヌムの体力は殆ど残っていない。デルタ三国を覇権下の置いたとはいえ、それによって潤うにはいくらかの年月が必要だ。それまで遠いガラッシアで兵力を維持するだけの力は今のところなく、年を跨げば隙をついてウァレンシュタインが動く可能性もある。
 故に最初からこの戦争は1年だけだと皇帝からも告げられていた。一年であの尊厳王すらも倒して仕舞わねばならない。だから、止まることは許されなかった。そうだ。歩みを止めれば、スカルウォラに残されているのは留まるではなく、撤退するということだけ。それでは失敗になってしまう。老王を叩かねば成功とは言えない。つまり、また地方の冷や飯ぐらいに逆戻りというのも現実的に起こり得る。
 となれば、正しいのかも知れないが撤退という道は取れなかった。
 抜本的な解決はこの会議ではとうとう見出すことができなかったが、少なくとも迷っていた彼の心を決定することになった。
「いや、ここは前進だ。会戦を以ってあの亡霊にはそろそろ幕引きをしてもらわねば」
 スカルウォラの決定に会議は負けることなど考えていない者たちを中心に陽気な雰囲気に包まれたが、その中で一人だけ、あの少女だけは落ち着いた瞳でスカルウォラのことを見据えていたのが気になった。


「全く、とんだ茶番だった」
 天幕に戻ってくるなり正装の為に掛けていたショールを下に放り出しながら少女は皮肉たっぷりな息を吐いた。
 きらきらした金髪とルビー色の瞳に彩られた鮮やかな雰囲気は戦陣に全く似合っていなかった。
「これで、良かったのだろうな?」
 控えていた男に問い掛ける。彼女と同じ金髪だったが、それは異系統の金髪で民族の違いははっきりとその体格差で認めることが出来る。背の高く、金髪は短く刈っている。容貌は普通だったが、頭の切れそうな雰囲気に包まれていた。
「上々と言ったところです」
「私が焚き付けなくても、前進は規定路線だったようだがな。――だが、これで」
 それより先を少女は喋らなかった。声に出してしまえば、それは多分反逆の確かな証拠にされてしまうだろう。
 檻の中の鳥のような状況だった。逃げ出したいがその外は沢山もの獣が出てくる時を待っている。奴らを出し抜くにはそれなりの用心と周到さが必要になるだろう。一時も気を抜くのは憚られた。
「怖い方だ。貴女は」
 皮肉とも称賛とも取れるような口調で男はそう言った。彼は1年ばかり仕えている軍事顧問で、ウァレンシュタン人だった。それなりに教養があり、ファラミル語を操ったのでラシェルとの対話はかなり楽に出来た。テミリオンの戦いの後、この役職の必要性を痛感した彼女が方々手を尽くしてやっと手に入れた人材だった。今のシャルトルの躍進を支えたのは彼の存在があってこそgだが、物足りないものがあるのも事実だった。
 彼と話す時、話す分野が重なっていたからかラシェルの胸の内には必ずといっていい程セレンのことがあった。何でも最初のものに対する愛着はあるもので、それに思い出が重なってしまっては点が辛くなってしまうのも無理はない。それにその分野以外のものはずっと劣っていると感じていたのだから。
シャルトルが躍進した契機を作った人間は彼女のことをよく気に掛けてもくれたし、色々アドバイスもくれた。だから、恥を忍んで幕僚にと申し出たのに、丁重にとはいえ、無下に断られたのは癇に触る出来事ではあったが流石に2年近く年月が流れるとその気持ちは大分薄らいでいた。
思い出というのは悪い面は消し去ってしまうもので、彼女の中に残っている彼の像は、絶世の美男子というのが相応しい容姿とガラッシア人を思わせる高い矜持と高い知識、それと人当たりの良い闊達さだけだった。一体、彼は今どこで何をしているのだろう。ガラッシア人であることに誇りを持っていた彼がこの祖国の危急に何もしないとは考えられない。何かはしているのだろうが、それを知る術はなかった。それがラシェルは残念だった。もし、彼と同じ道を進んでいるのだと分かったら少なからず励まされたのだが。
 そんな思い出と主観が混ざりきった像と目の前の男を引き合わせると、どうしても目の前の男にいい評価など下せるわけがなかった。しかし、だから逆に彼に対してはなるたけ丁寧になった。それを彼は気に入られたと解釈しているようであったが、それを解くこともしなかった。
「お前の献策だぞ」
「それを生かすも殺すも主次第ですゆえ」
 アエテルヌムに対する反感は共有するところがあった。彼はウァレンシュタン人で、かの国は怨敵だ。ラシェルとしてはアエテルヌム自体にはとくに思うところはなかったが、屈服を強いられたこととガラッシアを攻めるその先兵に使われていることは大きな屈辱だった。
 若くして権力を保持するにはよくも悪くも強い自尊心が必要で、傷つけられたそれは取り戻す必要がある。直情的な性向を曲げることはずっと昔に覚えたし、今のシャルトルの力も分かっているから、こんな馬鹿げたことに付き合っているが、ずっと続けていくつもりは毛頭なかった。しかし、今のところは良いタイミングがない。
「ガラッシアには頑張って貰いませんと」
 直裁的な言葉で出てきそうだったので目を遣って黙らせる。彼女とて自分がこの中でどう思われているかなんてとうの昔から知っていた。下手な言葉は直接彼女の首を絞める。そんな馬鹿でも分かるようなことも気に回らないこの男を好きになろうというのがそもそも無理な話だ。
「私の戦功の為にもな」
 彼と話していてもこれ以上益になることもなさそうだったので、下がらせた。彼が恭しく一礼して出て行くと、それを見計らったようにアジャーニが通訳を連れて天幕を訪った。  ウェスミル語の習得は目下継続中だが、微妙な話になるとやはり通訳の手を借りた方が意志を伝えられる。 「会議はいかがでしたか?」  アジャーニの声色には彼女を案じる色が強い。デルタ三国で権勢を振るおうとしていたのが一転して、不安定な立場に追い込まれているのだからそれも無理のないことかも知れない。少女の身には確かに過分な環境である。
「うん、悪くはなかったよ」
 ラシェルは彼に弱音を見せることはしなかった。本当は不安だったし心細かったりもしたが領主と最大権力者という意地が彼女を孤高のままにする。だが、アジャーニと会話することはこの上のない慰めだった。彼は優しく、穏やかでこれも年の功がそうさせるのだろう。
「我らが不甲斐ないばかりに苦しい思いをさせてしまって何と弁解すればよいか」
「誰が悪いというものじゃないだろう。これも一つの時代の流れ。その中で私たちは何が出来るのか考えないとな。――連絡は?」
「今は控えております。この時期ですので」
 ラシェルは頷いた。
「その方がいいだろうな。何が起こるか分からないし」
「はい。――それより、お聞きになられましたか? ウィオーラと思しき人間をガラッシアの陣営で見かけたという話ですが」
 気丈に振舞うラシェルをどうにか喜ばそうとアジャーニも手を打っていて、その活動の最中にこれが手に入ったのだった。
「え?」
 珍しく素に戻ったラシェルが聞き返す。
「いえ、先の会戦などでえらく派手な指揮官がいたらしく、聞いた特徴を統合していくとどうも彼ではないかと思いまして」
 行方が分からないと思っていたら無難なところに落ち着いていたということか。成る程、ちゃんとガラッシアに仕えるのであればラシェルの申し出に応えるはずもない。少しだけそれで申し出を断られたことが慰められた。そんな昔のことについて考えたとは自分の執念深さに気付いて戸惑いも覚えたが。
 しかし、ガラッシアにそんな普通の有力者の子弟の道を行くのならどうしてあの時にシャルトルにいたのだろうか。いや、そんなことは彼の深いところに関わってしまうのだからラシェルがどうこう考えるものではないだろう。
「それで、活躍しているのか? 私は見かけていないけど」
 とは言ったもののあれだけ白眼視されていたラシェルは作戦で重要な地位を占めるはずもなく、会戦にも主力として参戦したわけではなかったからそれは十分にあり得ることだった。
「臨時ではあるようでしたが、こちらの将に噂されるほどの活躍は」
 彼は舞台が大きくなったこの戦争でも埋もれないのか。それは少しだけ、羨ましかった。
「そう――アリスは?」
 取って付けようにもう一人の功労者を思い出す。でも彼女の所属ははっきりしているし、マリウス傭兵団はその団運を掛けてガラッシアに身を投じている。――そうか。彼の所在が分かりガラッシアなのだから、同じ陣営になのか。随分とセレンは彼女のことを気に入っていたようだが、一体どうなっているのやら……  いや、そんなのはただの妄想の類に過ぎない。あまりにも突飛な考えだ。彼らは自由の身ではない。
「マリウス傭兵団は行動を別にしているようです。彼女のことはなにも」
 ラシェルの思索が変な方向に行きかけたのをアジャーニの言葉が引き戻した。
「――出れば、目立ちそうだから、出ていないのだろうな」
「恐らくは」
 色んな感情がない交ぜになったが、それでも彼らの行方を知れて、嬉しさを感じなかったと言われればそれは嘘になるだろう、と渋々ながらも認めざるを得ない。
 あの者たちが彼の方で活躍していると聞いてラシェルは大きく励まされるのだから。
「私も頑張らなきゃいけないな」
「閣下は、十分、頑張っておいでです」


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